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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

手帳を新しくしました

というわけで、今回はタイトル通り。11月になったので手帳を新しくしました。

毎年この季節になると、書店には手帳が並び、並んでいる手帳も10月でオシマイになっているものが多いので、このタイミングで手帳を買い換える人が多いと思うのですが、どうして11月なんですかね?なんか中途半端じゃないですか?

と、思ってちょっと調べてみると、どうやらちゃんとワケがあるようです。年の瀬や年度の区切り、すなわち1月や4月は節目としては区切りが良いのですが、社会的にも忙しい季節になります。そんな時に手帳を新しくして予定がゴチャゴチャしてたら不便でしかないですよね。なので、一般的に手帳を変える時期というのはむしろ社会的に忙しくない時期。つまりお盆からハロウィンが終わって年末進行とクリスマスに差し掛かる直前、11月のこの時期がなるべくスケジューリングに差し支えなく新しい手帳に移行できるんだ、ということらしいです。

僕個人としては4月に心機一転で手帳もマッサラにまた1から始めたかったりする気もするんですけどね。毎年使っている手帳がやっぱりこの時期に発売されるので、それに合わせて変えています。

新しい手帳を買った時にまずすることが、古い手帳からの予定の書き写しなのですが、このときに古い手帳で過ごしてきた1年を振り返るのが、いつの間にか恒例みたくなっています。1年という期間は大人になってしまえばごく短いように感じられるモノですが、こうやって振り返ってみるとちゃんと厚みを持って存在していて、「1年前はこんなだったなぁ」と自分の変化を実感します。なんだかんだちゃんと歩いてきてるんですよね。

去年の手帳で達成できたことできなかったこと。取捨選択しながら新しい手帳に書き込んでいきます。次の手帳を手にする頃にはどんな気分で今の自分を振り返るのでしょうか?少し楽しみですね。

ずっとはてなのアクセス解析のままできてる

今日も書くよ。

10月も今日が末日ということで、まずはご報告。前回の記事で「500件は突破できなさそう」と言っておりましたが、その翌日に突破しました。本当にありがとうございます。

鮮やかなフラグ回収ですね。計算上はギリギリ超えない見通しだったのですが、更新翌日にアクセス件数が謎の伸び方をして瞬く間に500件を突き抜けました。嬉しい。次の目標は600件ということになりますが、とりあえずは来月もこの数字を維持していくことを考えていきたいですね。

ところでこの「アクセス件数」は、はてなブログの編集者のページから見られるモノなのですが、これが「あまりアテにならない」と評判だったりします。詳しいことはよくわからないのですが、システム上計測できない数字があるんだとかなんとか。だから、「ブログを始めるのなら正確な計測環境を整えよう」ということで、ブログ媒体のアクセス解析機能の有無に関わらずグーグルアナリティクスの設定がよくオススメされます。僕も言われるがままに設定しているのですが、これがなかなか難解でして。

まずよくわからない用語とデータが飛び交っていて、何から何を読み取ればいいのかテンでわかりません。・・・・ただの勉強不足なのかもしれませんけどね(--;) 挙句の果てには自己アクセスがグラフに反映される始末。でも、はてなアクセス解析については、しっかり自己アクセスがブロックされてるのでしばらくはどうせアクセスも少ないしこっちを目安にしていこうと、そのままダラダラここまで来てしまっている形です。

「アナリティクスの設定をちゃんとしなきゃ」というようなことを昨年、100回目の更新をしたあたりで言っていたような気がします。あの発言はどこへやら。気付いたら、自分でページを閲覧した1~5件程度、気にならないくらいの規模になってきています。いや、5×30=150 だからそれはさすがに誤差と呼ぶには際どいような気もしてきますけどね。そろそろアナリティクスを基準に考えていってもいいのかなぁと思ったりします。どっちを信用してもやることは変わらないし、なんなら日常的に両方チェックしてるんですけどね。

どこまでいっても学ぶことには際限が無いし、やることだってブクブク湧いて出てくるもんですけど、せめて目の前にあることくらいしっかりと片付けて進んでいきたいもんです。・・・・それが難しいんですけどねぇ(--;)

10月が終わるので運営報告

というわけで、10月ももうオシマイになりますね。

これまでも早かったですけど、ここからはさらに早足に年末に向かっていきます。そんな忙しいのか忙しくないのかわからなかった10月を振り返っていきましょう。

アクセス数

先月は運営報告のタイミングが少し早かったのでその後の展開がまだ読みきれないところがありました。今月もまだ少し残していますが大方の流れは見えたと言っていいでしょう。結論から言うと今月も500件の目標は達成できなさそうです。先月の時点では200記事も達成したし、数字の伸び方も悪くなかったので期待値が高かったのですが、そんなに簡単にはいかないようですね。もう少し気長に取り組んでいこうと思います。とはいえ、アクセス数は先月以上になっているので順調に歩んでいけてます。一歩ずつ、進んでいきたいですね。

報酬

こちらはアクセス数に反比例する形になりそうです。アドセンスもクリック回数が増えているのに収益は下がっているというよくわからない状態になっています。この辺は広告単価の問題もあるのでひと言には言えないところですね(--;)

一方で印象的だったのは頻度でした。アドセンスもそうですが、他のアフィリエイトでもクリック数が前より上がっていたり、とにかくちょこちょこ頻繁に動きが見られるようになっていました。目指す形としては安定収入なので、コンスタントに収益が出るくらいにまでもっていけたら最高ですね。

記事の更新

こちらはなかなか苦労しています。8月の落ち込みを取り戻す勢いだったはずなのですが、なかなか更新頻度が安定しませんでした。なんとか10回以上の更新は保てましたが、アフィリエイト系の記事はほとんど手付かずのまま月末まで来てしまいました。具体的な根拠があるわけでもないのですが、今月報酬が伸び悩んだのはこういうところが遠因になっているのではと思ってます。だからって、どうしようもないんですけどね。来月以降はまたペースを取り戻せるようなんとかしていきたいなと思います。

まとめ

なかなか、厳しい10月になったなと思います。着実に進んできているはずなんですけど、思うように気が向かないというか、どうにも上手く向き合えない感じでしたね。「気持ちの問題」と割り切ってしまったらもうどうしようもないんですけど、それ以上言いようもない感じです。うむ、やり切れん。

ともかく、本も1冊読めたことだし、今月はOKということにしてちょっと運動でもしようかなと思います。最近身体が動かせていないので良いリフレッシュになることでしょう。そんなわけで、今月もお世話になりました。また来月からもゆるゆるやっていきますよ。

「よるのばけもの」を読んだ感想

「よるのばけもの」

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概要

著者:住野よる 発行:2016年12月11日

やっとこさ読了しました。いつかの記事でピックアップしていた読みたい本の内の1つです。実写とアニメ、両方で映画化されました「君の膵臓を食べたい」の作者さんが書く物語です。

突如、夜になると化物になってしまうようになった男子中学生の「あっちー」は便利な身体で夜の時間をやり過ごしていました。ある夜、忘れた宿題を取りに学校へ行くと、そこで鉢合わせたクラスのいじめられっこ「矢野さん」に化物の自分を暴かれてしまいます。どういう理由か警備員さんに見逃してもらって夜の学校に来ている矢野さん、「今は夜休みだ」と言う。あっちーと矢野さんの不思議な夜休みが始まります。

感想

住野よるさんの作品を初めて読みました。なかなか考えさせられるというか、問いを投げかけられるような印象を持ちました。他の作品でもそうなんでしょうか?

あっちーくんはクラスに上手に溶け込むことを最優先に考えていて、クラスで起きているイジメにも傍観を決め込んでいます。しかし、イジメの被害者である矢野さんと2人で過ごす夜休みでは、普段自分が流されている「クラスの雰囲気」はありません。偏見無く矢野さんと付き合う化物の僕と、みんなと一緒に消極的に矢野さんをいじめる人間の僕、2人の僕が昼と夜とで食い違っていきます。

昼と夜、化物と人間、という対比がキレイだなぁと後になって思いました。タイトルや表紙からは非日常系な印象を受けたりしますが、話の主題はどこまでも現実的でした。表面的にしか見えないクラスメートの正体や、自分の内にある自分も知らなかった感情。化物の姿になることであっちーくんはいろんな事実に気付いていくのですが、なかなか中学生にはヘビィだよなぁと思います。それが逆に生々しいくらいにリアルだとも思うんですけどね。「化物」という要素が非現実的に見せるのですが、それさえ除けばどこの誰にでも当てはまるような、当たり前に抱えた矛盾を正そうと問いかけてくるような、そんな苦味のある作品でした。

 

(最終更新:2018/10/24)

停滞する僕の秋

今年の秋はビックリするほど何もできていないです。

どうも、少しの間ですがご無沙汰していました。前回の記事でも本が読めないことを書いていましたが、今回はもっとスケールの大きな話。ひょっとしたら僕は秋になってからこれという何かをまだ何もやっていないんじゃないかという話です。

そういった兆候は実はちょこちょこ現れていて、本が読めない報告の前にも「何も手に付かない」というような内容の記事も書いていました。しかしまあ、せいぜい何となくそんな気分なんだくらいの雰囲気で、しばらくしたら勝手に元に戻るんだろうと踏んでいたんですよね。しかし、まあ現状振り返ってみると、僕はどうやら何もやっていないようです。わくわくしながらいろいろ目標立てたのにね。

とはいえ、ブログの運営的にはヤバイのですが、個人的にはそういう時期があっても良いのだろうとは一応思っています。それこそ前回の記事でも書きましたが、インプットしていくための良い時期なのかなとも思うのです。ブログの運営なんてモノはもろにアウトプットな作業なので、放出するためにはまず蓄える必要があるんですよね。その為の読書であったりいろんな経験だったりする節はブログを書いているとどうしてもでてくるところです。いつも「あ、これネタになりそう」っていう何かを探してしまいます。ただ、そういう思考にも時々ウンザリしてくることがあるというか(笑) じゃあもうブログやめちまえよっていう話なんですけど、そういうタイミングがやっぱりあるんですよね。

良いじゃないか、休んだって。人間だもの。

この国だけなのかどうかはわからないですけど、なんというかこう、何もしていない時間を軽視している傾向がありますよね。そりゃ何もしていないよりは何かやっていた方が良いんですけどね。でも僕は「余白」って大切だとも思うんですよね。沢山ご飯を食べるためにまずお腹を空かせるじゃないですか。何かをしよう、入れようというその意思を実現するためのスペースというか、飢えというか、そういうモノを養う為にそれが収まるための空白はあるべきだと思うんですよね。

まぁ、モノは言い様ってヤツですけどね。でも、満たされてちゃ何も生まれないですよ。

読書中間報告

わざわざ銘打って記事にするほどでもないですけどね。

今から大体1ヵ月前ですかね、今年も秋がやってきたということで読みたい本をリストアップして記事にしていましたね。昨年は結果的に読破はしていましたが、秋の内には1冊も読むことができなかったということでリベンジを掲げていました。今回はその中間報告的なのをやろうと思います。

というわけで、今年も全く読めていません。

んー。どうしてですかね。少なくとも記事を書いた頃は比較的読めていたんですよね。そこから約1ヵ月、あれやこれやとわちゃわちゃしているうちに気が付いたら全く読まなくなった状態でキレイに本棚にしまわれています。しまっちゃうオジサンでも通りがかったのでしょうか?

そもそもとして、僕の生活の中に本を読む習慣が無いというのが問題ですよね。中学高校と何だかんだ本を読む機会に恵まれた僕です。最近は何気ない空き時間もスマホをイジって過ごすようになりました。持ち歩いていた文庫本が開かれることはなく、気付いたらカバンの中からも姿を消していました。当時はガラケーでしたし、おそらくスマホに限った話じゃなく、いろんな場面で読書に代わる時間の過ごし方を見つけてきた結果なのだろうと思います。それが良いとか悪いとかじゃ、ないんですよね。

それでもどうにかして本を読もうとするのは、やっぱり好きだからなんですよね。頻度が少なくなってしまっても、活字を貪っている時のあの没入感を味わっていたい。それにこういうインプットの機会もなるべく大切にしていきたいとも思います。読書だけじゃないですけどね、インプットを怠っていると引き出しの中身が偏ってきてしまうような気がします。別に根拠は無いんですけど、いろんなモノを貪欲に取り入れていきたいです。

そんなわけで、読書の時間はしっかり確保したいところなんですけど、てんでダメな現状ですよね。どうにか巻き返していきたいと思います。後半へ続く。

窮屈な日常で暮らしている

「自分にできることを挙げてみよ」と言われると、できることよりできないことの方が沢山浮かんできそうな僕です。

「あんなことができたら面白いのに」「こんなことができたらもっと楽に生きていけるのに」とか絵空事を考えながらも、そうじゃない毎日を生きています。窮屈かと言われると、別にそこまで窮屈だとも思っていません。居心地の悪い人間関係に板ばさみされてるわけでもなければ、困窮に喘いでいるわけでもない、平和な毎日です。ただある時、本当に何気ない瞬間に「あれができたらいいのに」とぼんやりすることがあるだけ。僕らは今の毎日にとりあえずは満足して暮らしているけれど、それよりもう少し面白い何かが存在しているんじゃないかなって思うんです。

そう考えると僕らにできないことは思った以上に沢山あるんだなって思います。おいしい料理が作れなかったり、難しい本が読めなかったり、いろんなスポーツのルールすら知りません。それがわかったらきっともう少しだけ楽しいことが待っているかもしれないのに。決して難しいことじゃないようなことも、どうしてかできないままで終わってるんですよね。

そりゃ中には才能と呼ばれるようなモノがないと達成できないことだってあります。でも、そういうことって本当に一握りで、大抵のことは意外と何とかできちゃうんですよね。おいしい料理はレシピを見て作れるし、難しい本だって時間をかけていけば何とか読める。スポーツのルールなんてそれをやってる人達に交じれば優しく教えてくれます。僕らが日々思い浮かべるような「できないこと」の内で本当にできないようなことって一体どれくらいあるんでしょうか。

「面倒臭がっているだけ」と言ってしまえばそりゃ誰だってそうだとなるんですけど、僕らの日常には「ただ手を付けていないだけ」のことが沢山あるのではないかと思います。「やればできる」なんて言葉は精神論じみていてあんまり好きじゃないし、今の世相ともズレるのかなと思いますけど、案ずるより産むが安し、やってみたら意外とできちゃうことってきっと僕らが思う以上に沢山あるんじゃないでしょうか。「なんか難しそう」とか「こんなの恥ずかしい」とか、そういう心のリミッターみたいなモノが誰の心の内にもあって、僕らの何でもない日常を何でもない日常たらしめているのは案外そういう部分なのかなと思います。

とか、いろいろ言ってみたところで、結局できないことはできなかったりするんですけどね。最終的にはやっぱり理想論。「何だってできる!」って言ってみても時間は有限ですし、文字通り、できることには限りがあります。そういう意味じゃ、やっぱり窮屈な日常に暮らしているのだなと思います。できないことはできない日常。悲しいくらいに現実的です。でもだからこそ、その現実の殻を、自分の殻をもがき破いたその外側には、夢を感じずにいられないですよね。