初めて本を売って謎の怒りに襲われた話
「出版された本は人に買われる。やがて手放され、次なる人の手に渡る時に、本はふたたび生きることになる。本はそうやって幾度でも蘇り、人と人とをつないでいく。」
なるほど。
この春に映画が公開されて話題になった「夜は短し歩けよ乙女」という小説の作中で、京都の下鴨神社で行われる古本市を舞台にした話があるのですが、そこで言われていた言葉です。曰く、「本はみんなつながっている。」「その本たちが自在につながりあって作り出す海こそが、ひとつの大きな本だ。」そう。なれば、古本市はその途方もない海の広さを見渡せる砂浜のひとつに例えられるのでしょうか。そこから先は数多の海流が流れる海が広がっていて、流れ着いたまた別の砂浜で、無数の本が無数の人を結び付けている。
僕もその流れに一枚噛んでみたい。
なんて格好良い気持ちだけで本を売ったわけではないですけど、そう思うと本を売るのも悪くないなと思えたのです。本は人に読まれるためにありますからね。今流行りのダンシャリも兼ねて売ってみようと思いました。
本を売るならbook off ~♪
売った本の数65冊。実家を出てから一度処分しているはずなのですが、思ったより数が増えてましたね。で、付いたお値段全部合わせて3190円。まあ、そんなもんですよね。心が少し抉られたのはレシートの値段の内訳を見た時です。僕の好きだった本たちが10円とか20円、物によっては5円で買い取られています。それを知った時の僕の気分の複雑さといったらもう。
「陽だまりの彼女」は「文豪ストレイドッグス」より安くなんかなぁぁぁい!!!!!
いや、知らんがな。不思議なもので今となっては全く読まなくなったような本でも値段が付けられると意外とショックを受けている自分がいるんですよね。もちろん付けられた値段というのは、その本の良し悪しではなく、どれくらい需要があるかにならって付けられているわけであって、その本に対する自分の入れ込み度合いなど反映されるわけもありません。そんなのわかってるに決まってるじゃないですか。
なのに、何なんでしょうね。この自分の思い出に値札を貼られたような気持ち。不肖スタック、やり場も無く憤慨です。
個人によって度合いは異なれど、読書というのは基本的にその世界を味わうことが技術として必要とされます。主人公や登場人物に一定以上共感できなければ、物語の展開など奇奇怪怪ですし、情景描写を自分の中で思い浮かべることができなければ、文章はただの記号になりさがります。思うに、本を読むというのは、その本の世界に自分の心の一部を結び付ける作業のことを言うんじゃないでしょうか。だからそれに値段が付けられた時、自分に値段を付けられたような感覚を覚えてしまう。本の物語は、ただその本の内側だけに完結しないんですよね。
冒頭の言葉は狂言回しように言われていましたが、案外掛け値なしに真実なのかなと思った今日でした。そして僕もまた、新たに古本を通して誰かの心と結びつくのです。
(最終更新:2018/07/08)