/* 以下google広告 */

やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

見られる相手のいない日々が僕を弛んだ人にする

9月に入ってからもう一週間が経ったんですね。

今年はなんだかとっても時間の流れが速いです。本当に目まぐるしい。それだけ必死に今を生きているといえばそう言えないこともないですけど、気が付いたら季節が過ぎていることの喪失感たるや、ちょっとコタエるものがありますね。

さて、「お天道様が見ている」なんて言葉があります。「誰も見ていないような状況でも、天から神様がちゃんと自分のことを見てくださっている。だから誰にも見つからないからといって悪さをしてはいけないよ。」そんな風に教えられました。僕だけじゃないんじゃないでしょうか。最近は仮にお天道様が見ていなくっても、どっかしらに設置された監視カメラがしっかり見ていてくれるような時代ですけど、「誰かに見られている」という自覚は自身を正す上で便利なものですよね。「恋する女性は美しい」なんて言葉もありますが、やはりそれは好かれたい異性がいるが故の美しさなのだなと思います。僕なんかは相変わらず愛だ恋だには縁が無い日々なのですが、やっぱり堕落しているなと思うところは多々あるわけで、好きな人がいる日々はエネルギーを要するものですが、その分いろんなところがキチンとしていたなと振り返って思います。恋愛に限らず、張り合いの無い日々というのは確かに気楽で良いです。一方で遣う気のない日々は確実に自分の感性を鈍らせていっているのかなと思うこの頃なのでした。

ま、そうは言っても、結局こんな現状に甘んじてしまうのだけれどね。