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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

お金を貰うことに抵抗がある

「何言ってんだコイツ」と思った皆さん、こんにちは。僕は純米大吟醸の偽善者です。

今回は自らに宿る良心を磨きに磨きまくったあげく、社会不適合者に陥った僕の抱える思いを綴ります。吐き気を催さない範囲でお付き合いください。

僕はお金を貰うことになんだか抵抗があります。別にお金に拒絶反応があるとかそういうわけではないんです。貰えるのなら欲しいと思う。人並みに。なら、どういうことなんだと言いますと、具体的には、自分のすることに値段が付けられるのが考えられないんです。じゃあなんでブログなんかやってんだという話になってきますがまあ聞いてください。いや、読んでください。

僕は基本的に自分がすることに価値なんて無いと思うような人間です。自己評価が客観的な評価と比べてどれくらいズレているかはさておき、僕が誰かに何かを施す時はまずその人への手助けの気持ちがあります。それが見知らぬ人間であっても何か見返りがあってもいいんじゃないかという下心はありません。あってもそんなの厚かましいとすら思います。だって困ってるとはいえ、僕がやりたくてやってることなんだから。社会とは経済とは基本的に誰かの「役に立つ」ことをして、それに見合った対価を受け取ることで回ります。でも僕は誰かの「役に立つ」ことに関して見返りを求めたがらない。我ながらくそたわけとは思いますけどね。

もっというと自分がすることでお金が発生してそれが「商売」になった途端、それは今までとはなんだか違うモノになってしまう気がします。僕にとってはあくまでやりたくてやってることであったとしても、それにお金が支払われることで「サービス」になってしまうような感覚がある。自分がすることで関わった人が知り合いから商売相手になってしまう気がしてしまう。そこに嫌気が差してしまうのは、日本に蔓延ったお客様は神様文化の成れの果てなのかもしれないですね。

どうしてこんなに拗らせてしまってるんでしょうか。いつから僕はお金というモノにここまで無機質さを感じるようになったんでしょうか。お金があることで自分とは関係の無い人ともモノのやり取りができる。そこに繋がらなかったはずの関係が生まれる。お金は縁もゆかりもない人達を結び付けるもので、本来人を豊かにするモノのはずなんですけどね。僕の中でどこかにそれを受け入れられない何かがある。それは一体何なんでしょうか?

(最終更新:2017/12/06)