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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

一人暮らしをする前のあの頃と今

お題モノでも、こういう風にキャンペーンで記事を書くのずいぶん久々ですね。

今回は「一人暮らし」ということで、ちょっと一人暮らしを始める前の頃を振り返ってみようと思います。こないだ「君はよく振り返るよね」と言われましたが、本当にそうですね。いいじゃないか、懐古厨なんだよ。

ということで、僕が一人暮らしを始める前の頃、始めたのは18の春ですから話は僕が高校生の頃まで遡ります。その頃の僕は窮屈な生活を送っておりました。変わっていく自分と変わらない周囲に折り合いを付けられず、感情を押し殺すことが多かったです。誰かと話すことが億劫になって一人でいることを好みました。人に気を遣うことが嫌で「ここから抜け出したい」「誰も自分のことを知らない場所へ行きたい」と思っていました。僕にとって一人暮らしは「嫌気がさした、今の人間関係から抜け出た先にあるゴール」でした。そこには思い描いた理想の毎日がありました。

あの頃からずいぶん経って、一人暮らしもすっかり板につきました。当たり前ですけど、引っ越した先の部屋には理想の毎日なんてあるはずもなく、今日も今日とてそれなりの不可能性を感じながら生きています。僕が一人暮らしをして学んだことといえば「家族全員分の家事をこなす母の偉大さ」とか「実家で食べるご飯の温かみ」とか「自分がどれだけの遠慮と気遣いに殺されてきたのか」とか。人並なのからそうでないのまで沢山あるのですが、中でも一番大きなモノは「自分と地元を断ち切ることはできない」ことを知ったことでした。

僕にとって地元は「脱却したい場所」。できる限り遠ざけて存在を忘れられたい関係でした。険悪な仲ではありませんでしたが家族もそのうちに入りました。僕にとっての気遣いの対象、その全てから距離を取りたかったんですね。その希望を果たすべく、僕は可能な限り地元から離れたところで一人暮らしを始めました。結果、掛け値なしに救われました。「自分のことを一番に考えていい生活というのはこんなに楽だったのか」と文字通り心が軽くなったのを覚えてます。自分の為だけの生活が始まると思ってたんですよね。でも、数年経って出来上がったのは、結局以前と似たような人間関係でした。そして冠婚葬祭などでの大事な場面になると、やっぱり地元からは逃げられないんですよね。それを許さない自分というのが、自分の中にいるのを知りました。

大きく環境を変えることで変わる自分と変わらない自身の本質、帰るべき場所は簡単には無くならないことを知りました。どこまでいっても僕は僕であり続けるようです。今まで見えなかったことに沢山気付いた、そのきっかけが今の僕にとっての「一人暮らし」です。