やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

僕的堕落論

今日はこれというような書きたい内容も浮かばないので、久々に書きたいように書き殴っていこうかなと思います。

堕落とは甘美なモノです。努力と精進を廃し、己が欲望に身を任せる。考えることを止めてただ思い浮かんだことをそのまま行動に移していくのはどんなに気楽なことでしょう。そうした日々を過ごしたくなる時がたまにあります。わかりやすいのがスケジュール帳に書かれる予定で、自分がそういう状況に陥っている時は手帳のページが真っ白になります。真面目に生きようとしている時はなるべく日々を建設的に過ごそうとするので、小まめに予定を確認しながら生活している僕です。そうじゃない時は逆に手帳を遠ざけるようになっていくんですね。

 

ある程度惰性に任せて過ごしてみて、再びまともな自分に戻った時に滅茶苦茶になってしまった予定に苦笑いを浮かべたことは一度や二度じゃないです。それでもなんでもないある日、ふと何だかどうでもいい気分になってしまうのだから、どうしようもないですね。不思議なのはそうしたどうでもいいような気分と、しっかりとまともでいたい気分が交互にやってくることです。どちらか片方が長く続くことはそうないですし、おそらくどちらが欠けてしまっても、僕は僕でいられないのだろうと思います。真面目にやっていてふとバカらしくなることは誰にもある経験だと思いますが、惰性で暮らしていてもその生活の張り合いの無さに耐えられなくなってくるのです。結局人間は陰陽一体、どちらの側面も併せ持つ存在なのだなぁと思います。

 

客観的な僕としては、堕落も勤勉もどちらも自分自身として認めてやりたいと思いますから、両方を併せて全体で毎日が上手くいくように調整を図っていきたいと常々思っちゃいます。ところが、自身の堕落を計画の内に入れようとしてしまうと、結果として予定がつつがなく進んでしまうので、それでは意味がないんですよね。落ちぶれてこその堕落。自身が落ちぶれないよう保険をかけたうえでの堕落など滑稽でしかありません。つまり、相反しているんですよね。どうにか丁度いい落とし所が無いか探ってみてはいるのですが、残念ながらそんなに素直に騙されてくれるような僕の頭じゃないようです。幸せと不幸せの区別すら付かないのにね。