動き出すことに理屈なんてない
「あれが手に入ったら僕は何々ができるようになる」とか、何かが達成されるためにある条件のようなものって、きっと幻想なんだなと思います。
いつかもこんな内容のことを書いた気もします。いつのことだったかは覚えていません。探してみようと過去の記事も遡ってみましたが途中でやめてしまいました。
全部が全部そうだとは思いませんが、僕らが暮らしている日常にはそういった「満たされるための条件」みたいなモノが沢山ありますよね。さっき書いた例は代名詞多めでやんわりしていますが、「こんな洋服はかわいくない自分には似合わない」とか「資格を持たない自分にはあの職種は相応しくない」とか。マイナスベクトルで考えればそういう誰が決めたのかもわからないような「雰囲気」がいっぱい転がっているように思います。・・・・その考え方がまず幻想ですかね?(--;)
いや、何が言いたいって。可愛くないとか資格が無いとか、確かにそれが自身に適しているかどうかの指標にはなるかもしれないんですけど、それと実際にやるかどうかは別の話なんですよね。不思議な話で、じゃあそのできない条件が満たされていたら自分はそこを踏み越えられるのかというと、案外そうじゃなかったりするんですよね。
結局はやるかやらないか、為せば成る為せねば成らぬの世界なんだなと思います。今日それをできないことに何か理由も無い理由付けをしているのなら、そんなのやめて飛び込んでしまいたい。その為のエネルギーを常に自身に宿していたい。
そんなことを思うのでした。