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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

生活によって使う言葉が偏っていく

これって個人的にはなかなかの発見だったんですけど、当たり前といえば当たり前なんですかね。

「新しいことを」とひたすらに言い続けていたこの頃ですが、いろいろ初めていくにあたって当然知らない単語を知ったりするわけです。でも、それだけじゃなくって、こうして記事にする時に新しい言葉と一緒に今までは使わなかったような言葉も出てきたんですよね。

これを自覚したのがツイッターでもしれっと言ったように、サボテンの経過報告の記事を書いた時のことだったのですが、僕は鉢の置き場のことだったかで「日向」という言葉をおもむろに使いました。あとになって「『日向』なんて言葉最後に使ったのはいつだろう」って思ったんですよね。

別に言葉の意味を忘れていたわけでもないし、本を読んでいて出てくれば問題なく読めるんですけど、それにしてもその単語に出会ったのがずいぶん久々な気がしたんです。もう長いこと、植物とは縁の無い生活を送っていましたから、自分の部屋のどこが日向なのかとか、気にする必要なんて無いんですよね。必要性が無くなって、使われることが無くなっていく。そんな言葉がきっと他にも沢山あるのだと思いました。「死語」ってヤツですかね。

よく「若者の活字離れ」とか言われたりしていますけど、そこまで大きな規模じゃなくて、もう少しミクロな世界で、きっと僕らは新しく覚えた言葉の数だけ、もう使われなくなった言葉をどこかへ捨てているのだなと思いました。