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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

いつの間にかサボテンが育っていた

サボテンを育て始めて早くも5ヶ月近く時間が経ちました。

なんか前よりデカくなったような気がします。

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上は植え替えた時の写真。そして下が今日の写真。

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・・・・比べてみると明らかに大きくなってます。

微妙な違いではあるんですけどね。植え替えをした頃は鉢に対してもっと小さかったイメージがあります。成長しやすいようにと大きめのサイズを選んで買ったんですよね。だから、植え替えたばかりの頃とかは学ランになったばかりの中学生みたいな感じだったんですけど、ずいぶんサイズ感が馴染んだような気がします。

大きくなっちゃってぇ・・・・。

サボテンは12月から2月までは休眠期といって、生長が非常に遅くなる時期なんだそうですが、それでもこんなに変わるもんなんですかね。それとも窓辺とはいえ、暖房の効いた室内に置いていたからなのでしょうか?とはいえ、季節はもう春ですからね。サボテンも休眠期から成長期へと移っていく頃です。今後、水やりの頻度も増えていきますね。サボテンは年に1度、植え替えをするのが良いそうなので、今の鉢が窮屈になる頃にまた植え替えたいと思います。

それでは、今回はこれにて。

リハビリを兼ねて近況報告

サボり過ぎました。

というわりには今月もキッチリ10回以上更新してるんですけどね。ちゃんと後先考えてサボってました。去年の3月といえば更新100回記念の盛り上がりからも落ち着いて、書く記事の内容もイマイチ思い浮かばない、そもそも記事を書こうというモチベーション自体が落ちているということから、「いっそ1ヶ月休んでみよう」という休息期間を設けていました。その結果、アクセス数が絵に描いたような放置ブログの下がり方をするという事態に陥ったのですが、まあそれでも良い気分転換にはなりました。

そんなことを思い出したので、今年は休むかどうかというのを考えあぐねていたのですが、気付いたら月末ですね。そして、結果的に思いっきり更新をサボることになりました。ただあれですね。今回は気持ちは「更新しなきゃ」のまま休んでるのであんまり休めてる気がしないですね。それでも記事を書く習慣は忘れがちになってしまっているところが実に悲しい。もう少し都合良くいかないもんでしょうか?

とまあこんな感じで、今日からまた通常運転に戻していこうと思います。とりあえずは更新ペースを取り戻すところからですね。なんだか3年半、ずっと同じところで戦っているような気がしますが総合的には着実に歩みを進めてきているので良いのです。

それでは、またお会いしましょう。

うぬ惚れと謙虚の間で語る

自分語りが増えたな、と感じるようになりました。

僕自身の人間性において、決して悪いことではないんですけどね。誰かと話していて、僕は基本的には聞き役に回ることが大体なのですが、この頃は自分が話をすることがずいぶん増えたような気がします。

「沈黙は金」という言葉があります。話せば話すほどに情報は与えられ、聞き手に回るということは人から情報を得るということになります。自身のことをあまり悟られたくない僕としては、自分の話はしない方が何かと楽だし、自分語りというのはなんだかうぬ惚れっぽくてあんまり好きになれなかったんですよね。

とはいえ、自身を明かさないということは、人に理解されないことに繋がるので、そこに根本的なコミュニケーション不全ができあがってしまうんですよね。誰にも理解されず、人知れず悩むことになったりするわけです。ゆえに、僕が誰かに自分の話をするようになったというのは、ひとつの成長と捉えても良いのかもしれないのですが、まああんまり素直に受け止めきれないですよね(--;)

やっぱり好きになれないですよ。そもそも「自分語りがうぬ惚れっぽい」というのがまず偏見だったりするんですけど、誰かに対して大きく自分を出していくのはどうにも苦手だなぁと思います。やってしまえば普通にできるし、あんまり話をしない僕なので珍しがられたりもするのですが、そういうことをしている自分が好きじゃないというか、穏やかに人の話を聞いている自分でいる方がいいなと思ってしまうんですよね。

全く、いやらしい話です。(笑)

「謙虚に生きたい」と言えば聞こえは良いですが、その実、愚直な自分が人目に晒されることを恐れているだけだったりするわけです。モノの言い様なんて何とでもなるものですが、自分を正当化するためには使いたくないもんですね。

ギターが部屋から無くなった日

ギターというモノに手を出してから4年弱経ちますが、今回ある事情を機に一度ギターから離れてみることにしました。

stack-dot-com.hatenadiary.com

こんなことを書いてから気付けば1年以上経っていましたね。「やめよう」なんて気持ちはサラサラ無くて、ただ「一旦離れて他のこともやってみたい」という思いが芽生えていたのです。ずいぶん時間は経ちましたが、やっとキッカケを掴むことができました。これからしばらくは音楽はただ消費するだけの物になって、心地良いギターの音も僕の日常を彩るBGMの一部に成り下がることでしょう。寂しい気持ちも無くはないですが、そのうちまた帰ってくる未来が見えきっていますからね(--;)

部屋を片付けました。目に付くところに置いておくと手に取って弾いてしまうので、自分の部屋に置かれているギター関連の物を大方全て、押入れの中にしまうことにしました。僕の生活の一部になっていた音楽が切り離された時です。不思議なモノで、少しスッキリした部屋を眺めてもあんまり違和感を感じませんでした。ギターを置いていた部屋の片隅。小さなアンプを置いていたラックの上。確かにそこには何かが足りないような気がしていて、でも最初から何も無かったような自然さもあります。

「音楽って無くても生きてけるんだ」と、改めて思いました。僕らは冷蔵庫が無いと困ります。そこから食べ物取り出して生きてきたからです。僕らはスマホが無いと困ります。それで人との連絡を取り合って生きているからです。僕の部屋からギターが消えた時、僕は「無くて困る」とは思いませんでした。きっと生きていく上では必ずしも必要では無いもの、だから無くなったことへの違和感が薄かった。僕が生きていく為に必要なモノは全て「揃っていた」から、何も無い部屋の片隅が自然に見えてしまった。

それでも、僕にとって音楽が入れ込み、焦がれたモノであることは揺らぎません。またどうしようも無く求める日がやってくるのでしょうか。

財布を忘れた

そんなわけで、あんまりブログどころじゃなかったりします。

子どもの頃にはよく自転車の鍵を失くしたりしてましたが、この歳になって、それもよりにもよって財布を落とすことになるなんて思いませんでした。

一昨日の夕方、出掛けていった先で荷物置きに財布と手帳だけ入ったカバンを入れていたのですが、ポケットに入れていたスマホと鍵だけ持って手ぶらのまま部屋に帰ってきてしまいました。お酒は入ってませんでした。幸い、忘れ物があったという確認が取れていて、財布の無事は保障されています。ひと安心です。

いやホント、高校生の頃ならお小遣いとポイントカードくらいで済んでるかもしれませんけど、この歳だとあんまり笑えませんね。マジで生活に支障が出ます。まずお金をおろすのにひと苦労だし、失くしたまま返ってこなかった場合は免許証から何から全部再発行ですからね。かかるお金もバカにならないですよ。そう思うと、身分証明書から何から「形にして持ち歩かないといけない」この世の中はちょっと怖いのかなとも思えてきます。

「データにして管理しよう」という話はもうずいぶん前から討論されていて、僕はどちらかというとそういう何でもかんでもデータで管理しようとする風潮には否定的なのですが、今回のことで少し向き合い方が変わってきそうです。「失くしてしまうリスク」というのは、思った以上に日常的に身近に存在しているんですよね。データで管理した場合にはまた「書き換えられるリスク」なんかが出てきたりするわけですけど、しかし僕が失くしたように毎日沢山財布が無くなってたりすると考えると、これは確かに無視できないよなとも思いますよね。

「自分の物はちゃんと自分で管理する」というのはまあ当たり前のことなんですけど、人間そんなに完璧じゃあないですよね。精進します。

 

※追記(2019/03/23)

無事、財布が返ってきました。中身もそのままです。日本は素晴らしい国ですね。忘れ物には気を付けたいです。

時間が足りない

拝啓、忙しい季節になってきました。

2月はまだ冬の静けさみたいなモノが残っていましたが3月も中旬となると、いよいよ春らしい空気感になってきましたね。朝晩はまだ冷えるとはいえ、日もずいぶん伸びました。卒業式などの年度を締め括る行事も大方片付き、来る4月に向け動きが活発になってくる頃です。

僕はというと、相変わらず窓辺でコーヒーをすすっています。道端に咲いた野花を見つけて「春だなぁ」なんて写真を撮っています。じゃなくて。時間が足りません。始まりの季節は新しくやることも増えたりしがちなんですが、僕は別にそういうわけでもないのに、どうしてか時間が足りなくなっています。なぜ?余裕はあるはずなのに気付いたら1週間が終わろうとしている。日々ゆったりした時間を過ごそうと意識しているはずなのにあっという間に3月の中旬になっている。

どうして?

なんて嘆いてみますが、理由なんて明らかなんですよね。先月からの食費の多さが全てを物語っていて、要するに人とご飯に行き過ぎているのです。もうすぐ会えなくなる人、これから出会う人、春は人間関係に変化が起きる季節だから、「最後だから」とついつい長々と話込んでしまったり。周りの人を大切にすることは、良いことなので、だからきっとこれは良い傾向なのだろうと思います。ただ、誰かの為に自分を見失うようなことにはなりたくないですよね。

人を幸せにしようと思うのなら、まず自分が幸せになれ。みたいな言葉をどっかで聞いた気がしますが、幸せというのはなかなかアンバイが難しいモノなのだなぁと思います。

step4:お金の使い道を分類していく

そんなわけで今回は前回の延長的な内容になります。

お金の使い道をノートに書き出して、お金の使い道を記録していくまでが前回でした。今回は記録したお金の使い道をザックリと分類していきます。

浪費消費投資の3つですね。使ったお金が生活に必要な物ならば消費、特に必要の無い物だったら浪費、将来的に有益な物だったら投資、といった具合に書き出したお金の用途をマーカーなんかで色分けしていきます。分類する項目は少ないので、そこまで難しいことではないのですが、自身の捕らえ方によってどうとでも分類できてしまうので、多少は自分に厳しくなる必要が出てきそうです。

「深夜にコンビニで缶ビールを買う」なんてことも、一見すればただの浪費でしかないですが、寝る前に作業をするモチベーションを得るためのご褒美とすれば消費ともとれますし、その作業が自分の将来において意味のあることだったら投資の範疇とも言えるでしょう。一重に、解釈の仕方次第です。

これによって自分が1ヵ月でどれだけのお金を消費しているのか、浪費しているのか、またいかに投資できていないのかが明確になるんですね。ただ注意点として書いてあったのが「浪費は無くさなくて良い」ということです。「無くすことはできない」と言い換えられそうな気もしますが、やはり僕らは人間ですから、精神衛生上、適度に浪費も組み込むくらいがちょうど良いみたいですね。「無くしていく」ではなく「減らしていく」これがポイントのようです。

で、それを実行に移して僕の生活がどう変化したのか、という話なのですが。

 自分の無駄遣いにメチャメチャ気付くようになりました。著者の目論見としては大成功なんでしょうね(--;) 自分のお金の使い道を分類するようになると、だんだんお金を使う時にもその思考が働くようになってきたんですよね。「ここで缶コーヒー買うのもったいなくない?」みたいな。こういう小さなブレーキの繰り返しで家計が潤っていくのだとも思いますが、なんだかずいぶん窮屈な暮らしになったなぁと思います。まあ、それだけ好き放題にお金を使っていたことの裏返しだったりもするんですけどね。実際、自分のお金の使い方に驚く機会も前より増えました。必要な物が多いとはいえ、ずいぶん使っちゃってますよね。書き出して、数字に起こすという作業はやはり効果的なようです。

今月で貯金を始めてから大体4ヶ月になるので、最初に立てた目標地点へは折り返しになろうとしています。早いですよね。たった4ヶ月とはいえ、気付くことの多い日々だったなと思います。まだ本で紹介されている内容の5分1くらいしか実行できていないのですが、果たして全部実行する頃には僕の貯金通帳はどうなっているんでしょうか?

 

↓こちらの本を元に貯金してます