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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

劣等感って何でしょうね

特にこれ、というほど書きたいことが今回は無いので、今日は「劣等感」というものについてつらつら書いてみようと思います。おそらくとりとめの無い内容になると思うので、先に言っておきますね。

 

「劣等感」というとどうしたって「払拭したいもの」です。とはいえどこまでいっても拭いきれないものではありますけどね。

「等しき」から「劣る」感情で、劣等感です。

ことさら「平均」とか「平等」とか「均一」とか、そういうものに敏感な僕ら日本人にとって、この感情を抱くことは、大袈裟に言ってしまえば死んでしまうようなものです。学歴コンプレックスとか、そういう類のものですよね。何の平均なのかとか、どこでの通常なのかとか。

ご多分に漏れず僕もその1人でして、内に抱く劣等感が無ければきっと今より幾分かは過ごしやすい毎日なんだろうなと思います。が、だからといって無くしてしまいたいかというと、そうは思わないのです。僕にとって劣等感とは枷でありタガであるからです。

僕らは普段いろんな人達と意見を交わすし、いろんな口出しをしていますが、突き詰めていけば、誰かに何かを意見する権利なんて僕らは持ち合わせてはいないと思っています。まあ極論なんですけどね。でも時代が変われば価値も常識も変わってくるこの世界で僕の発言1つ取って、どう正しいと証明できるんですか?そう思うところがあるわけです。

まあそんなこと言い出したら何も始まらないんですけどね。とはいえ、だからといって何でもかんでも言ってしまうべきだというと、それもそんなことはなく、やはりほどほどに納めておくのが良いですよね。だから、劣等感を抱いておこうと思うのです。本来自分はそんなこと言えた口ではないという意識を胸のうちに秘めておく。これを忘れずにいられれば、本当は正しいかどうかもわからない自分の正義を誰かに押し付けずに済む。

・・・・なんて、ネガティブですかね?

「人は自分を救済するために存在している」なんて言葉が最近のアニメで言われてましたが、自分自身を活かすことは大切だと思います。でも、自己を愛するあまり誰かに迷惑をかけるのは、それはそれで望まれないことですよね。結果生きずらい世の中であるとしか言い様がないのですが、まあ、僕らを人の輪から外すのが劣等感であると同時に、僕らを人の和に留めるのもまた劣等感なのかなぁなんて思うのです。

 

ネガティブな感情ってみんな排斥しようとしがちですけど、僕は大切だと思うのですよ。そもそも「それが幸せである」と感じるために必要なものですし、自身を知る上でとっても大切な要素になる。抱かずにいられたらそれが一番「楽」なんだとは思いますけどね。