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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

僕の哲学は誰にも必要とされない?

ふと「僕の哲学って必要とされてないのかな」って思いました。

 

思えば「ブログ」という媒体はインターネット黎明期から生まれた代物で、2017年の今となっては決して新しいものではないのですよね。だからというわけではないけれど、ブログという媒体に触れる機会が多いのは当時の若者、今の20代半ばから30代の人達が多いのではないかと思うのです。

僕はこのブログでも、前身ブログでもしばしば哲学的というか、ヒネた高2病チックな言い回しでモノを語ったりしました。(高2病チックはちょっと大袈裟ですかね)それはあくまで僕が思うことだし、これからもそう簡単には否定することではないでしょう。曲りなりにも僕が今まで練り上げてきた自分の一部分です。そんな僕の一部がひょっとしたら誰かの役に立ったりするのかなーなんて気持ち半分、単純にそんな内容を書きたかった気持ち半分で投稿してきたんですけど、スマホ全盛の昨今にわざわざパソコン立ち上げて、ブログなんてものを読むような人達に向けてそんなこと語ってみたところで、そんなに面白くはないのかな、と。そう思ったわけです。

冷静になってみれば、世間一般でいう「20代半ばから30代」っていえばそりゃ大抵が仕事に就いて働いています。晩婚化が嘆かれるとはいえ結婚している人も少なくないでしょう。そういう人達に哲学だ何だと言ったって「それでご飯がおいしくなるのか」とか言われかねません。

というか、語るにしたってもっと等身大でいいのかなって思います。「必要とされてない」なんて言い方をしましたが、より正確には「頭でっかち過ぎて必要とされてない」とでも言った方が合ってると思います。大仰と言ってもいいですね。僕の書いてきたことってちょっと小難しかったんじゃないかと。確かに、優しさゆえに窮屈な毎日を送ることになっているのも事実だし、その完璧主義で自分の首を絞め殺す日もあるし、どうでもいい誰かの為に一晩を費やすことだって日常茶飯事です。どうしようもなく報われないけど、でもお腹は空くし、明日はやってきてしまう。

僕はあくまでそういう理不尽は取り除きたいですけど、それはそれとして、どうしようもないことはどうしようもないですしね。理不尽過ぎる現状に頭抱えておもいっきり悩み込むのも良いですけど、そういうこととは少し距離をあけて平日の朝をちょっとだけ気持ち良く迎えられるようなことを考えてみても良いのかなーって。

だってその方がよっぽど誰かの役に立ちそう。あとポジティブだし。

そういうことを思ったのでした。