惰性に任せて世界のありきたりを想う
書くよ。
特に書きたいというほどのことも無いのだけれど。
ちょっと前の記事でも書いたようにやる気の無い状態で記事を書いたって良い記事にはならないってこと、僕だって分かってる。でも数日間更新をさっぱり止めるなんて僕にはできない!書かなきゃっ!
こう難しいですね。ブログをやってくなら数字的な話といいますか、生存確認の意味も含めてある程度の頻度では更新していく必要があるわけで。当たり前ですけど、毎日毎時間熱烈に「この記事が書きたいんだ!」って感情が湧き上がってくるわけではない。いわゆる「モチベーションの維持」ってやつなんですけど、これがなかなかどうして簡単にはいかないんですよねぇ。やりたいこととできることはイコールじゃないとかそういうあたりもまたそこに噛んでくるわけですけど。
やりたいことがあるからってそれをできるとは限らないし、そもそもやってみたら思ってたのと違ったなんてこともよくある話で、そう思うと僕らの言う「やりたいこと」も「できること」も僕らの思っている以上に定かでないところがある。そんな中でそれでも目の前の日々に向かって何かはしていかなきゃいけないわけで。そんな時にこうやって毒にも薬にもならない物が出来上がるわけですね。これを指して「ありきたり」と言う。この世界には一体どれくらいの「ありきたり」があるんでしょうね?
何だかこんな内容書きたかったのそうじゃなかったのか。次はもう少しまともなの書こうと思います。