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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

思い入れが僕らを不自由にする

その対象が人であれ物であれ、大切であればあるほど割り切れない事が増えていくのだろうなぁと思います。

「情が移る」なんて言葉もありますが、人が何か癇癪を起こしたり納得できずに文字通り感情的になる時、そこにはいつも思い入れがあるのかなと思っています。極論ではありますが、何かが思い通りにいかなかったり事が上手く運ばない時、僕らはそれを諦めたり見放したりして、それに対して割り切れない感情ごと切り離してしまうことができます。何事にもそういう風に対処しているとそれはそれで人情味の無い人間になってしまいますが、それでも大なり小なりそうすることができるという自分の感情への対処が最終手段としてあるはずなのです。なのに僕らは目の前の現象を受け入れられず、時にやり場の無い感情をぶつけてしまうことがあります。スマートじゃないですね。

思うに、それはやっぱり対称への思い入れなのだろうなと思います。本来、それがどうでもいいことならば僕らの感情が揺さぶられることは無いはずなのです。それが重要なものだから、自分の心の深いところにあるモノだから、こんなにも影響されてしまう。仕方無いといえば仕方無いことですね。そして当たり前ですが、自分の心の根幹に関わるようなモノというのは簡単に切り離せるものじゃないです。切り離そうとしても痛みが伴います。だから感情を捨てきれず、かといって納得できない気持ちのやり場もなく、ただ不安定に感情を揺さぶられるしかないんですよね。

いっそ一切合切を切り捨ててしまえたら、なんて思わないこともないですけど、きっと切り捨てた枝葉の先にはまた新しく若葉が芽吹いているのだろうと思うと、もうどうしようもない気持ちになります。結局、人間ですよね。