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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

昔話しかできない自分になってきていた

僕はいつまで昔の話をしているんだろうなと思いました。

時代は日々刻々と移り変わっていきます。その時にはその時の、状況に合わせた生き方というモノがあるものです。どっかのつぶやきでも見かけましたが、自分の中の常識をアップデートしていくことを怠った人が老害になっていくんだと言われます。「あの時はそうだった」だから今でも通用しないはずがない。ズタボロになりながら築きあげてきた自身を否定するのはなかなか辛いモノがありますけどね。事実は事実として受け止めていかないと先に進めないのも確かです。

そこで僕の話になるのですが、僕は一体いつまで自分の昔話を語っているのでしょうか。まあ「昔話」といったところでそんなに昔のことでもないのですが、自分の中における教訓のようなものがいつまで経っても「その頃まで」で止まっているなぁとこの頃思うのです。そりゃあ自分にとって「その頃」は大変な時期だったし、今までの人生で1番悩んだし苦しんだ時期と言っていいくらいには頭を抱えていました。いや、厳密にはいつでも天を仰いでいました。下を向いたら溺れてしまいそうとか、そんなことを思ってた気がします。そんな時を経ての今の僕ですから、当時を生きる為に編み出した術に強く由来しているのは当たり前なのですが、そんな大変だった時間も気付けばずいぶんと遠い過去に流されてしまっていました。今なら「あの時は大変だった」と笑い飛ばすことさえきっとできるんでしょう。でも、僕の行動基準は「その頃」に得た教訓に基づいたままです。

そろそろ捨ててもいい頃なのかなと思ったりします。同じ間違いを繰り返すかもしれない。いつまで経っても学べないのかもしれない。それでも、次に進んでいくことの方が大切なのかもしれないと。不恰好でも今の事を語れるようになりたいなと、そんなことを思うのです。ところで、僕にとっての「今」って何なんでしょうか?