やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

偽物でも、存在することに意味が宿ると思っていた

ずいぶん変わったよなと思います。

具体的にいつとくらべてという話になると難しいのですが、ここ数年間、変化の多い日々を過ごしてきました。新しい場所に来て、新しい人に出会って、新しいことを始めて、いろんなモノが始まって、いろんなことがあって、だからいろんな影響を受けていました。

確かなモノを求めていました。変わらないモノを、自分の中に不変な部分を持っていたかった。ブレてしまうことは裏切りになるから、自分という人間を定義してそこに確信を抱いていたかったです。

 

変わっていってしまうことが、嫌でした。今あるモノや日常が形を変えて、失われてしまうことが悲しかったです。なるべく記憶に焼き付けていようと思いました。できる限り、今あるモノを味わい尽くそうとしました。だから、どこまでも客観的でいたくて僕はいつも傍観者でした。今思えば、そんな毎日の中でも僕は少しずつ変わり続けていたようです。

前より少しだけ歳を重ねました。変わらないような景色でも視点が変わることで見え方も変わってきます。それによって浮かぶ感想に変化が現れ、だんだんと僕の思考自体にも変化が及んでいきます。その過程でいろんなことがありました。僕は、意外と染まりやすいようですね。

 

最終的には変化を望んでいました。「紛い物でもいいから」とあんなに切望した不変も、今は脱却する対象に成り下がってしまいました。思考自体はずいぶん健全になりました。更正したと言って良さそうです。偽物を偽物だとして、それを正そうとすることは真っ当なことなんだと思います。一方で、正しさだけでは救えないモノに手を伸ばして、偽物だったとしても、矛盾を成立させる可能性に縋った僕もきっと間違っていなかったんだと思います。救われない僕も、大切な僕でした。

次へ進んでいく僕はきっと今まで以上に変わっていくのだと思います。今後、それまでの僕からはどんどん遠ざかっていく。いつか、この日の僕を懐かしく振り返る日が来るのでしょう。その時まで、さようなら。