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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

物を沢山売った話

今年のゴールデンウィークは旅行に出かけていくのを第一目標として、残った空き時間は部屋の整理整頓に使っていました。

本当は年末年始にザックリとしかできなかった大掃除をここでやろうと考えていたのですが、思った以上に時間が捻出できませんでした。なので、できたことは不用品の仕分けくらい。売れるものはリサイクルショップへ、売れないものは不用品回収に回します。毎週あるゴミ出しで回収されない類、家電や家具などの大きなゴミは捨てるために別料金がかかります。なので、二束三文でも売ってしまった方が節約になるんですよね。・・・・まあ、部屋の真ん中にのさばる要らなくなったモノの山を眺めて2回くらいはそのまま全部捨ててしまおうかと考えはしましたけど。

リサイクルショップと一言に言っても、売るものによって持っていく場所は様々です。本なら古本屋、家電ならそういう生活雑貨を売っているお店に、ゲーム類は趣味関連の買取を専門にしているお店に持っていきます。状態が悪ければ値段が付かないこともありますが、大抵は引き取ってくれるみたいです。沢山持っていったのに全然値段が付かないこともあれば、少なくてもずいぶん良い値段で引き取られることもあります。需要に応じて様々です。売ったモノの金額を全部合わせると、この間散財した分を埋め合わせられるくらいになりました。これも何かの巡り合わせでしょうか。埋め合わせに使うのも何か勿体無い気がしたので、少しだけ生活費の足しにして、あとは貯金か何か他のことに使おうと思います。

「断捨離」なんて言葉がキャッチーに飛び交ったりしますが、物を処分するというのは丁寧にやろうとすると意外に手間のかかることなんだなと思いました。そして不思議なもので、あれだけ売ったはずなのに僕の暮らすこの部屋はそれまでとまるで代わり映えしません。でも手元には買い取りのレシートとお金があります。僕が売った物はこの部屋のどこにあったんですかね?以前、本を売った時には自分の読んだ本が安値で買い取られることに憤りを感じていましたが、今回は何だか虚しい気持ちです。使われなくなったモノたちはこうして忘れ去られていくんですね。

存在を忘れられながらも部屋のどこかで眠り続けるのか、或いは処分されて、そのまま死ぬか新たな持ち主との出会いを待つのか、どちらが幸せかなんてことは考えても余計な感傷に浸るだけです。ただ人が1つのモノを扱う最後の機会が「処分する時」だと考えるなら、やはり丁寧に扱いたいですね。最後くらい、物は大切に。