やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

やはり僕は毎日更新ができない

どうも、お久しぶりになるんですかね。ちょっと時間が空きました。

今月は更新頻度を上げていこうということで、更新できる日は極力更新するようにしていたんですけど、やっぱり僕にハイペースな更新は厳しいみたいですね。こう、反動が来るといいますか。ブログから気持ちが離れた時に書けなくなる度合いがスゴイですね。あとそれまでマメに更新していただけに少し日が空いた時が割り増しで長く感じてしまうんですよね。3日空けただけでけっこうやってしまった感がある。

そして感じるのは記事の内容の薄さです。なんか内容が薄くなってるような気がするんですけど、気のせいですかね?まあ多分気のせいなんですけどね。

stack-dot-com.hatenadiary.com

こんなこと5月にも書いてました。同じ道を辿ってますね。まあこの辺はわかっててやってるところでもあったので割り切っているつもりでしたが、どうしても気になりますね。不定期、ひと月で平均して3日に1回くらいのペースが僕の性に合っているんだろうなぁと感じるこの頃です。

二年目に添えて

早いもので、僕がブログを始めてからもう2年が経とうとしているのですね。

「まずは3ヶ月、100枚記事を書くことを目標に続けてみなさい」

という言葉を胸にダラダラと更新を重ね気付けばこんなに経ってしまいました。「光陰矢の如し」なんて言葉を使うにはおこがましい短期間ですが、ホントあっという間です。最近は短めの文章の記事が多いからというのもあるのですが、今回はひとつ、長ったらしい思い出話でもしてみようかと思います。

前身ブログを始めたのはちょうど2年前頃でした

このサイトはまだ初めて半年弱といったところですが、今から2年前。何日だったかは定かでないですがちょうど9月の中旬でした。僕の初めてのアフィリエイトサイトを開設したのですよね。自分のサイトを持つのは実は初めてではなかったのですが、今みたいにサイトに投稿するような形でブログを運営するのは初めてでした。初めからテンプレートみたいなのが出来上がってるが楽だった半面、どうしても融通の効かないところがあって不便を感じたのを覚えています。あの頃は「とにかく更新しよう」といった感じサイトの細かい仕様は後回しにしていましたね。記事の更新ありきなのは勿論なのですが、もう少し他の事に気が回っても良かったのかなと思います。

まあ、こと「アフィリエイト」というものに関しては右も左もわからなかったので、仕方ないんですけどね。

アドセンスの審査が4ヶ月くらい通りませんでした

稀に見るグーグルアドセンスの審査が通らない人、それが僕でした。懐かしいですね。始めて最初の1ヵ月で「そろそろ良いかな」と申請を出したら通らない(笑) 「あれっ、おかしいぞ?」と何回やっても失敗してました。そこからしばらく期間を置いて4ヶ月後くらいにひょいっと申請を出したら一発でスルーでした。何がいけなかったんですかね。やはりコンテンツ量なのでしょうか。僕はその4ヶ月の間ちょくちょく更新が止まったりしていたので、そこまで大きな変化は無かったと思うんですけどね。

当時のブログ事情

「あの頃は」なんて言葉を使うほど昔でもないんですけどね。前身ブログを書いていた時の僕は今よりずぅっと拙い文章を書いてました。今でさえ、そんなに達者でないのに、今よりずっとです( ̄▽ ̄;) いや、本当に拙かった。決して酷いモノではなかったとは思いますが、今も残っていたなら修正、リライトの嵐ですね(笑) なにぶん、それまでは基本的に人に読まれることを意識していないというか、基本的に自己満足に完結する文章を書いていたので、その辺のところが甘かったのですよね。はてなで書き始めてから「誰かに読まれること」を至上命題とした上で記事を書きだしてからというもの、痛感し続けている点ですね。精進したいところです、ハイ。

更新ペースも今よりずっと不安定でした。当時の僕ボロボロだな(--;) なかなか日々が忙しかったなんて、イイワケにはなりませんが、どうしても浮き沈みが激しかったですね。書ける時にがぁーーっと書いて、パッタリ止まる。みたいなことが多かったです。「ブログで収入を得るなら厳しくても毎日更新しましょう」なんて言葉を真に受けていたので、まあ仕方ないといえば仕方ないんですけどね。僕に毎日更新はそもそも不可能でした。

そこでの失敗から「ペースを下げてでも、定期的に更新していこう。とにかく続けていこう。」という今のやり方が産まれているので、まあこれは良い教訓になってますね。

身バレを恐れてブログ閉鎖へ 

みなさん、名前の管理にはくれぐれも気をつけてくださいね。前身ブログの開設から1年半、当時の名前が間接的に周りの一部の人間に知られてしまうことになりました。おおっぴらに「この名前でブログやってるんだって」とバレたわけではありませんでしたが、ネットとリアルの分断には慎重だった僕を危惧させるには十分過ぎる事件でした。

「もうこの名は使えない・・・・」

開設当初には文字通り、本当に全くアクセスが無かった僕のサイトですが、1年半経って少しずつアクセスが出てきていました。ほんの少しの手応えをキッカケにここにきて始めてアカウントをはてなプロにすることを考えだしていました。「どうせなら、プロにするのと一緒にブログも新しくしてしまおう。」そう思ったんですよね。この判断が正しかったのかどうかは、まあわかりません。

ブログを新設、そして今へ

ブログを新設してから思ったことは、1年半やってたことが無駄ではなかったことと、やはりブログの大切さですね。努力が水泡に帰すではないですけど、自分が1年半、曲りなりにも積み重ねてきたモノを消去してしまったのは、残念なことだったなと思います。ま、どの道公開はできませんでしたけどね。手元に残しておくくらいはやっても良かったのかなと思います。一方で、新しくブログを始めた時の展開の素早さみたいなのは確実に最初の1年半で培ってきた物だったんだろうなと思います。開設からアクセスを貰えるようになるまでの期間が最初に比べてとても短かったです。

とはいっても、まだまだ満足な報酬は貰えない状況なんですけどね(--;) そういえば、ただ更新するだけじゃなく、アクセスを増やすことや報酬を貰うことを考えながら内容を練るようになったのもプロになってからですね。少しずつ相場が見えてきたと言いますか、周りの環境に目を向けるようになってきたんだと思います。やっぱり多少でもお金をかけると真剣味が増すんでしょうか。

・・・・本来なら、ここでやっとスタートラインなんですよね。ホント、どんだけ時間かけてるんだか( ̄▽ ̄;)

今、思うこと

ここでこうやって書いたことも、先の未来で「青臭かった過去の自分」として記事のネタにされているんだろうなぁと思います。少し気が沈みますね(--;) 少なくとも、この記事がネタにされる頃にはもう少しマシな収入を得ている僕がいてくれたらいいなと思います。たった2年弱のダイジェストですが、意外と語ることがあったなぁという印象です。2500文字とか、このブログでは今のところ一番文字数の多い記事なんじゃないですかね。

ブログというのは読む人にとってはただの情報源ですが、書く人にとってはある種のタイムカプセルのような側面があります。昔の自分、その足跡を感じられるんですよね。ただ写真や映像が残ってるのではなく、当時の自分の思いや発想まで一緒に残ってる。これはちょっと楽しいです。同時に地中奥底に埋めた自分の黒歴史まで掘り当てる可能性もありますが、それもまあ自分自身として楽しめたら良いですよね。

では、今回はこの辺で。今回はずいぶん長文になりましたが、ちゃんと読んでくれた人はありがとうございました。

「読みやすい記事」を考える

読みやすい記事って何だろうなって思います。

ひと言に「読みやすい」と言ってもいろいろありますよね。「内容のテンポが良い」とか「難しい文章が少ない」とか。ブログの集客をアップさせる方法として「文字数の多い記事を書く」というのがあるのですが、僕は正直これは全肯定できるものではないと思っているのです。常識的に考えてページを開いた途端にずらぁっと文字が並んでワクワクする人なんて少ないじゃないですか。

もちろん、検索エンジン側の事情もわかります。検索ワードに対するなるべく良質な回答を提示しようとした時に、数多の言語で語られる無数のページをいちいち吟味してなんていられるはずがない。ならば検索したワードが含まれる「なるべく情報量の多い」ページを表示するというのは最大公約数的ではありますよね。ま、文字数だけで判断してるわけじゃないでしょうけど。

とはいえ、検索した人が求める答えを含むのではなくイコールで打ち出せることなんか日常の人間関係ですらなかなか難しい日がありますから、そんなの願ったって高望みもいいところなのかもしれませんね。でも、こうやって一個人がブログを書いてアクセスアップを図ろうという時に、自分の記事がどういう経路を辿ってどんな人に届くかを想像しだすと、この状況はまだまだ改善の余地があるのかなぁなんて思うわけです。

「ラブホの上野さん」を読みました

ラブホの上野さん

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概要

漫画:博士。原案:上野。刊行:2015年1月。ツイッターを通じて話題になり、上野さん役に本郷奏多さんを迎え実写ドラマ化もされた作品です。売れ方が最近らしいなぁなんて思ったり。ラブホのスタッフである上野さんが「女性をホテルに誘う方法」などの恋愛指南をしていく話です。

感想

「タメになる話だなー」と思いました。当たり前といえば当たり前なんですけど、アドバイスが客観的でロジカル。上野さんの単刀直入な発言も相まって「ゲスい」なんて感想もありますが、僕から見たら打算的。感情とか雰囲気で片付けない恋愛論はわかりやすく、参考にしやすいものなんじゃないかなと思いました。ところが「なるほど!」となっても、結局思った形とは違う結末になるところが現実味があって良いですね。恋愛だけじゃないですけど、結局はロジックだけじゃ上手くいかないところがあるんですよねぇ・・・・。

ツイッターの位置情報管理、ちゃんとやってる?

古今東西、機械は説明書を見るより先にとりあえず触ってみる派のみなさん、こんにちは。スタックです。今日はスマホユーザーの皆さんにちょっとヒヤッとするようなお知らせです。

スマホを使っているなら大半の人が持っているであろうSNSアカウントですが、さっき投稿したその内容から自分の位置が特定できるかもしれないって言われたらどうします?

ということで、今回はツイッターの位置情報の設定を見てみました。パソコンだと設定画面から「プライバシーとセキュリティ」というところから見ることが出来ます。

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真ん中の「位置情報をツイート」というところですね。ここにチェックを入れるとツイートに位置情報が付加された状態でツイートができるようになります。自分がどこで何をしているかがモロバレになってしまうんです。皆さんはなってませんでしたか?これくらい常識でしたかね。iPhoneなら本体の設定から「プライバシー」というところで、アンドロイドはツイッターのアプリの設定から「位置情報とプロキシ」というところで設定ができるようです。他のSNSアプリなんかでも設定できるはずなので、よかったらチェックしてみてくださいね。

余談ですが、この位置情報は数年前から画像ファイルにも当たり前に付加できるようになってますよね。ただカメラロールを見るだけじゃあんまり気付かないかもしれませんが、パソコンにデータを移したりした際に西暦と日時と位置情報が画像と一緒に記録されててちょっと引いたのを覚えてます。便利っちゃ便利ですけどね。こうやってブログとかやってる立場からしたらちょっと考えもんです。

見られる相手のいない日々が僕を弛んだ人にする

9月に入ってからもう一週間が経ったんですね。

今年はなんだかとっても時間の流れが速いです。本当に目まぐるしい。それだけ必死に今を生きているといえばそう言えないこともないですけど、気が付いたら季節が過ぎていることの喪失感たるや、ちょっとコタエるものがありますね。

さて、「お天道様が見ている」なんて言葉があります。「誰も見ていないような状況でも、天から神様がちゃんと自分のことを見てくださっている。だから誰にも見つからないからといって悪さをしてはいけないよ。」そんな風に教えられました。僕だけじゃないんじゃないでしょうか。最近は仮にお天道様が見ていなくっても、どっかしらに設置された監視カメラがしっかり見ていてくれるような時代ですけど、「誰かに見られている」という自覚は自身を正す上で便利なものですよね。「恋する女性は美しい」なんて言葉もありますが、やはりそれは好かれたい異性がいるが故の美しさなのだなと思います。僕なんかは相変わらず愛だ恋だには縁が無い日々なのですが、やっぱり堕落しているなと思うところは多々あるわけで、好きな人がいる日々はエネルギーを要するものですが、その分いろんなところがキチンとしていたなと振り返って思います。恋愛に限らず、張り合いの無い日々というのは確かに気楽で良いです。一方で遣う気のない日々は確実に自分の感性を鈍らせていっているのかなと思うこの頃なのでした。

ま、そうは言っても、結局こんな現状に甘んじてしまうのだけれどね。

勉強できない僕が勉強するためには

実は勉強をすることと同じくらい、勉強をするための環境作りは大切なことなんじゃないかと思いました。

どうも、今回は少しお堅い内容で、勉強に関する話です。

突然ですが僕は勉強ができません。別に勉強が苦手というわけではないのですが、ついゲームやスマホに手が伸びてしまったり、休日は基本的に誰かと出掛けることが多かったりと、日々に勉強する時間を見出せないまま生きてきました。こんなこと言ったら甘えてる風に見えますね。「時間は作り出すものだ。」とかなんとか言われそう。実際、僕も最近までそう思ってました。ただ努力が足りないだけだと。でもこの頃は少し考え方が変わってきたんですよね。考え方というか見方というか。

勉強はしなきゃいけないけど、まず落ち着いて勉強に取り組める状況か?それ。

そんなことに気付きだしたのです。確かに今までの生活で僕が勉強する時間が無かったかと言ったらそんなことはありません。沢山とは言えないけれど、時間はきっとあったはず。でも、そこで勉強してこれなかった自分がいる。どうしてでしょうか?自分の意思が弱かったことも要因の1つでしょう。スマホの通知が鳴った時、友人からお誘いがかかった時、「勉強するから」となれなかったのは自分の弱さです。でも、それだけでしょうか。「勉強よりやりたいことや、やらなきゃいけないことが沢山ある環境」で暮らしていることも問題なんじゃないでしょうか。「そんなの気にせず勉強に集中しろ」なんて事がさも当たり前のように語られていますが、「勉強に集中するためにエネルギーを要する」という状況自体がまず適当ではありません。そんな状況で勉強してたら消耗するし疲れるに決まってます。そして消費したエネルギーの割に結果がついてこないから嫌になる。悪循環です。

ある程度しっかり勉強しようと思うのならば、まず気兼ねなく勉強に向き合える状況に身を置くのが、僕のような人間にとっては前提条件だったのではないでしょうか。実は、その前提条件を揃えるために、下準備に取り掛かるところから始めるべきだったのではないでしょうか。と、そんなことを思ったのです。

まあ、まだ確証は得られてないんですけどね。