惰性に任せて世界のありきたりを想う
書くよ。
特に書きたいというほどのことも無いのだけれど。
ちょっと前の記事でも書いたようにやる気の無い状態で記事を書いたって良い記事にはならないってこと、僕だって分かってる。でも数日間更新をさっぱり止めるなんて僕にはできない!書かなきゃっ!
こう難しいですね。ブログをやってくなら数字的な話といいますか、生存確認の意味も含めてある程度の頻度では更新していく必要があるわけで。当たり前ですけど、毎日毎時間熱烈に「この記事が書きたいんだ!」って感情が湧き上がってくるわけではない。いわゆる「モチベーションの維持」ってやつなんですけど、これがなかなかどうして簡単にはいかないんですよねぇ。やりたいこととできることはイコールじゃないとかそういうあたりもまたそこに噛んでくるわけですけど。
やりたいことがあるからってそれをできるとは限らないし、そもそもやってみたら思ってたのと違ったなんてこともよくある話で、そう思うと僕らの言う「やりたいこと」も「できること」も僕らの思っている以上に定かでないところがある。そんな中でそれでも目の前の日々に向かって何かはしていかなきゃいけないわけで。そんな時にこうやって毒にも薬にもならない物が出来上がるわけですね。これを指して「ありきたり」と言う。この世界には一体どれくらいの「ありきたり」があるんでしょうね?
何だかこんな内容書きたかったのそうじゃなかったのか。次はもう少しまともなの書こうと思います。
いつまで経っても家飲みを卒業できない
今週のお題「家飲み」だそうです。
僕はお酒は割りと好きな方。日本酒もクセが強過ぎなければ全然好きですし、ビールもおいしく飲める人。ですが、基本的には家で飲んでます。
なぜ。
僕だって金曜の帰りに飲み屋さんへ出掛けていって、素敵なおつまみと一緒に誰かとこの世の森羅万象について語りたい。一体どうしてそのようなことが出来ないのか。今日はそんな内容を書こうと思います。ちなみに今はアイスコーヒーを傍らにこの記事を書いてます。
理由1:ノミトモがいない
この理由が50%くらいを占めてるんじゃないでしょうか。「この後飲みにいかない?」この会話がまず発生しない。必然、僕はそのまま部屋へ帰ることになるわけです。とはいえこの辺はなかなか難しいところでして、基本的に僕は寄り道しないで帰りたい人なんですよね。僕のような人種の人は共感していただけるかと思いますが、誰かに引き止められることを好かない傾向にある僕らは仮に「この後飲みにいかない?」と声をかけられたとしても、その時点で嬉しさ半分、帰りたさ半分。即答でYESと言えることはできない心情になっている場合が多い。
「なんだこいつめんどくせぇ」って話なんですけど、そこでOKを出すのにちょっとした思い切りがいるんですよね。
理由2:経済的な事情
皆さんご存知の通り、家飲みは外で飲むより圧倒的に安上がりでございます。故に外で飲むのはブルジョワの嗜み。庶民の僕はお家でささやかに。そんな形に落ち着いてしまいがちなんですよね。「好きなお酒が沢山飲める」「お酒を飲んでそのまま寝れる」等いろんなメリットがありますし、おつまみを自分で作る楽しみなんかを見出した日にはわざわざ外に飲みに行く理由がほとんど無くなってしまう。いやホント、家飲みって良いですよ。
理由3:飲み屋さんに行かない
これはもう卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまって半分蛇足なんですが、「飲み屋さんに顔を出す習慣」みたいなのが身に付かないままここまで来てしまっているというのが結論なのではないかと思うわけです。1人でだって行き着けの飲み屋さんがあれば、そこで知り合う人がもう飲み友達の一歩手前みたいなもんですし、経済的な話だって外に飲みに行くお金を臨時出費として勘定している節があるから抑えがちになってしまうのかなと思うのです。ま、ちょっと極論ですけどね。
「時間が無いから本を読まないのではなく、本を読まないから時間が無いのだ。」
どこかで聞いた言葉です。なるほど、本に限った話じゃなく言えることなんですよね。
まとめ
どっかで踏み出すキッカケが欲しいですね。その機会を活かせたら活かせたで、より僕という人間が堕落してしまいそうな気もしますけど。でも「どっか飲みにいこっか」となった時にオススメのお店をひとつやふたつ知っておきたいというのも、確かな心理。とりあえず行き着けの飲み屋さんをひとつ見つけるというのが僕の今年の目標です。
1ヶ月経ったけど、熱量のある記事が上手く書けない話
なかなか熱量のある記事は書けないですよね。どうもスタックです。
このサイトを始めたのが5月2日なので、既に開設から1ヶ月が経過したことになります。早いような遅いような。1ヶ月記念というわけではないのですが、このたびツイッターのアカウントを作成しました。
まだ2つしか呟いていない(6月7日現在)ピッカピカのアカウントです。プロフィールのところにもフォローボタンを追加しておいたので、フォローしていただけると嬉しいです。記事未満のことを呟いていきます。
熱量のある記事
熱量のある記事ってなかなか書くのが難しいですよね。
別にそんなことないですかね?僕はそこまで記事には困らないといいますか、書く内容にはしばしば困るものの一度書き出してしまえれば、その勢いのままに記事を書ききってしまうことが多いので、途中でつっかえてむむぅと首を傾げることはそんなにないんですよね。でもというかだからというか、しっかり練り込まれた内容の記事はなかなか書けないのです。
記事の良し悪しとは
この記事でもちょっと書きましたけど、僕はその記事の良し悪しは「どういう話題を取り上げるか」と「その話題についてどれくらい思い入れがあるか」で大体決まってくると思ってまして、もちろんタイトルの付け方なんかで変わってくる部分も沢山あるとは思うんですけど、単純な記事の質的な意味でいえば「自分がそれをどれくらい思っているか」がやはりネックになってくると思うんですよね。筆者の想いが乗った記事。単純な文脈だけじゃない何かがそれにはあると思うのですよ。僕はそれを指して「熱」という言葉を使うんですけど、それがなかなか上手にアウトプットできない。
まず自分の中あるそういう部分を探し出すことが難しいんですよね。例えばこの記事なんかはわかりやすく僕の熱が乗りまくりな記事です。
そもそもアクセス数が少ない僕のブログで割りと最近に書かれたにもかかわらず、現在はてなブログからのアクセスの50%を占めているのがこの記事です。(※その後ずいぶん数字は下がりましたが、以前アクセス数上位に居続けています。)まあ人生を蝕まれた結果生まれた記事ですからそりゃ熱もこもりますよね(--;) まず自分の中にこれに匹敵するほど熱意があるモノがいくつあるのかが怪しいです。まあ人の興味なんていくらでも変わっていきますから、いつか別に見つかる可能性、そしていつか好きだったものが再燃する可能性もある。その辺は絶えずアンテナを張り続けるしかないんですけどね。
宿った熱意の切り出し方
そして仮に他に見つかったとしても、それを上手く記事の形に落とし込むのがまた難しい。記事の構成云々、知識や技量的な部分を無視すれば記事を書くのはいくらでもできそうな気もしますが、意外と「書くか。」となるタイミング、きっかけというのは大切な部分だなと思います。ただその話題について書くだけでもいいのですが、どういう切り口からそれを引っ張り出すのかによって全然内容は変わってくると思うのですよね。上の記事にしたってただ「ギターが好き」なのではなく「ギターという楽器にどうのめり込んでいるのか」という点から語ってます。だからネガティブな内容にもなるわけです。そしてそんな状況下で僕が何を思うのかも書けるようになるんですよね。
その熱を以ってして何を伝えるか、どんな部分を引き出すかも重要なわけです。
まあ簡単には書けないんだけどさ
それらを加味した上で、トータルで熱量のある記事を書くことがまあ難しい。どうしたところでなかなか条件が上手く合致する機会は少ないもんです。まあだからってここ数日のアクセスが伸びない理由にはならないんですけどね(--;)
長期的に伸びてくれればいいのさ。長期的にね。
(最終更新:2017/08/03)
ここ数年で変わってしまった僕について
タイトル通り、そんなことを書こうと思います。
関係無いですけど、今回みたくタイトルが先に決まるのって僕の場合は結構珍しいんですよね。では本編。
数年前、僕は一言で言って厭世主義者でした。基本的にはネガティブ。人とは関わりたくない。お願いだから放っておいてくれ。そんな人です。幼い頃はそうでもなかったんですけどね。いつのまにか拗らせて、そんな風になっていました。そんなに嫌ではなかったです。比較的生きずらいやり方だったとは思いますが、それでも自分の思うことから目を逸らしながら生きるよりはずっと楽でした。悲観的ではあっても、自分自身に対しては何より正直でいられたんですよね。それが僕自身への救いになってました。
それが今では、だいぶオープンになりました。
「成長した」と言えばそうなんでしょうね。拗らせ具合で言ったらあの頃よりかなり素直になったと思います。良くも悪くも、前より客観的になったんでしょうか。何にせよ、誰かと普通に仲良くする僕を見たらあの頃の僕は今の僕を冷めた目で見るでしょうね。いろんな意味で丸くなったなと思います。尖りに尖っていた僕自身は時間の経過の中でいろんな過度を落とし、まぁるくなった。それは少なからず僕の毎日を生きやすくしてきました。でも同時にあの時内に秘めていた僕の鋭さは失われてしまったなと思うのです。悪く言ってしまえば腑抜けました。今の僕は目の前の出来事を煙に巻いて避けるだけ。その鋭利さをもってして切り込みを入れることはなくなりました。もとい、できなくなりました。まあ、何でもかんでも切り込まざるをえないよりは格段に良いのですが、何と言ったらいいんですかね。
面白くねぇ人間に成り下がったなと。思うのです。
失われた鋭さはどうすれば取り戻されるのでしょうか。それは取り戻されるべきなのでしょうか。どうということはない、ただのないものねだりだったりするんでしょうか。
セルフバックを利用してミイラ取りがミイラになってみた
どうも、今日は商品紹介というか購入体験みたいなことを書こうと思います。
セルフバックという制度
皆さんはセルフバックという制度をご存知でしょうか?
アフィリエイトをやったことがある人ならば一度は聞いたことがあるでしょう。ブログなどで本来ならばお客さんに勧める商品を自分で購入して、その成功報酬を貰う。結果的に割安で商品を購入することができる。クリック報酬でも購入報酬でも基本的には自分で意図的に成果を出すのは御法度なのですが、それを逆に制度化してしまったというシステムです。アフィリエイトの有名どころには名前は違えど大抵この手の制度があります。純粋なブロガーの人ならまだしも、僕のような小遣い稼ぎが目的でブログを始めているような人からしたら、なんだかミイラ取りがミイラになってしまったような、そんな気がして受け入れるのに若干の抵抗があるよう制度ではあるのですが、まあ安く買えるならそれに越したことはない。それに自分が勧めるものならまず自分が使ってみなければということもあり今回使ってみました。
今回はアクセストレードというサイトを利用しました
有名どころですかね。実は僕はわりと最近まで知らなかったんですけどね(--;) どこで知ったかといいますと、アフィリエイトをやる上で広告を載せたいなと思った広告主がありまして、どこからだったら出せるんだろうと思って探したらここが出てきました。今回買い物をしたのもその広告主からですね。音楽やる人なら大抵知っているでしょう、サウンドハウスというサイトです。
いわゆるアマゾンのような通販サイトなのですが、このサイトは音楽特化型。楽器から音響設備まで何でも売ってます。街の楽器屋さんじゃあまり売っていないようなちょっとニッチな物から細かいパーツなんかも安く買えるので、僕は普段から何かとお世話になってますm(--)m
今回僕が買ったのはこの2つですね。
VITAL AUDIOというメーカーのPOWER CARRIER VA-08 MKII というエフェクターに繋ぐ電源装置と、ドライアーで暖めるとキュッってなるチューブです。合計金額が1500円以上からは配送料がタダになるので、全部で1万円と少しですね。そして、今回の買い物で僕に入った報酬がこれくらい。
正直な話思ったより少なかったです。(--;)
まあ今回は報酬が購入単価の1%なのでそりゃこの値段になるんですけどね。この辺は広告主によって条件が違ってくるのでそれぞれだと思います。あとアクセストレードに関しては提携ランクというのがあって、自分がどれくらい成果をあげているかによって条件が変わってきたりするそうなので、一概には言えない部分もあるみたいですね。
買ってみた感想
とまあこんな感じで買い物を終えたのですが、安くなるのは良いとして、1%程度なら他にも何かやり方がありそうな感じはしましたね。魅力的なのはポイントではなく現金で返ってくる点でしょうか。僕はポイントサービスを積極的には利用しないのでその点は良いなと思えるところですね。今回貰った報酬とは別にサウンドハウスでのポイントも個人的に付いていたので、そこも掛け合わせると確かにオイシイのかもしれません。
利用するためにはアカウントの作成が必要なので、そのためにはアフィリエイトができる環境、つまり自分のサイトを持っている人でないとできないというところで少しハードルは高いのですが、興味のある人、アフィリエイトをやっている人は試してみてはいかがでしょうか?
(最終更新:2017/08/04)
ネットに飛び交う下ネタ ~インターネットはもはや「公共の場」と化している~
ある記事を読んで思うところがあったので、そういう話をしてみようと思います。
僕は別にオタクというほどオタクでもないのですが、どちらかというとオタク側の人間、深夜アニメも普通に見るし、声優さんのラジオも聞いたりする。友人にそういう人が多いです。だから「素直に射精です」みたいなネタも日常茶飯事で飛び交います。いつしか僕もそういう会話に慣れてしまっています。慣れって怖いですね。
しかしインターネットはここ10年間で本当に明るい場所になりましたよね。最初の頃はなかなか簡単に手を出せるような界隈ではなかったと思うのですが、今となっては誰もが触れられる、むしろ触れずには生きていけない世界となっている。僕にとってインターネットとは「知らない誰かがいる架空世界」みたいな認識だったのですが、今やすっかり「現実世界の延長」です。「ここなら誰も見ていない」と思って裸の王様に出てくる穴に叫ぶがごとく、好き放題言ったとしても、その穴の先は誰かの現実世界に繋がっていてきっと誰かが聞いている。
ネット界隈も住みにくくなったもんです。
日常生活じゃ言えないことだからネットでこっそり共有しあって、そうして大きくなってきた文化なのにね。
多分だけど、ツイッターで下ネタの意味を知るのも、川原でエロ本を見つけるのもそんなに変わらないことなんだと思う。どこにでもエロ本を捨ててく誰かはやっぱりいたし、男子中高生はそういうところから知識を蓄える。時代とともに媒体が変わってるだけで、そういうモノなのかなと思う。ただ、インターネットはとにかく「目に付く」。河川敷の茂みの中は基本的に人なんか通らないけど、インターネットは政治家から5歳児までみんな見る。
「ネットは匿名」と思っている人が大勢いると思うが、「仮面を被った誰か」をネットでよく見かけるように、「仮面を被った自分」もまた誰かしらには見られている。その辺に疎い人も沢山いるのだろうなぁと思います。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだぁ、、、、
運営的な話で5月を振り返る
5月ももうオシマイですね。そろそろ梅雨の季節です。
今月はProになって、このブログを立ち上げて一番最初の月でしたが、どうだったかというと正直なんとも言えない部分が多かったのかなと思います。僕は零細ブログ運営者なので、以前から月で平均して1日1アクセスをノルマとしていました。ひとまずですが、今月のノルマも無事達成できました。ありがとうございますm(--)m
とは言ったもののですね、このノルマはあくまで週1~2回更新のペースでの話なんですよね。今月はブログを開設したばかりということもあってほぼ毎日更新していました。今回の結果がこの更新頻度ありきのものであることは否めないでしょう。となると素直に喜んで良いのかどうか(--;) まあそんなこと言い出したらブログ開設の初月からわかりやすい結果を求めることがまず間違ってるって話なんですけどね。でも、やっぱり気になっちゃうじゃないですか。
このアドセンスの配置は正しかったのかとか、ここ数日間収益が上がらないのはなんでだろうとか、最近の傾向からなんとかPVを上げる為に何かしらの法則を見出せないかとか。やっちゃいますよね。どこまでやったところで究極的には良い記事を書くことしかできないっていうのにね。
でも個人的には良い傾向ではあると思います。若干とはいえアクセス数の上下さがなだらかになってきてるんですよ。あくまで沢山の人に見てもらう必要はありますが、それでもそういう傾向が出てきたっていうのは前進と考えてもいいのかなと。それに読者登録もしていただきましたしね。(とってもありがとうございますm(ーー)m )これからきっと結果が伸び悩むことが多々あるでしょうけど、じっくりやっていきたいですね。
(最終更新:2018/05/17)