やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

窮屈な日常で暮らしている

「自分にできることを挙げてみよ」と言われると、できることよりできないことの方が沢山浮かんできそうな僕です。

「あんなことができたら面白いのに」「こんなことができたらもっと楽に生きていけるのに」とか絵空事を考えながらも、そうじゃない毎日を生きています。窮屈かと言われると、別にそこまで窮屈だとも思っていません。居心地の悪い人間関係に板ばさみされてるわけでもなければ、困窮に喘いでいるわけでもない、平和な毎日です。ただある時、本当に何気ない瞬間に「あれができたらいいのに」とぼんやりすることがあるだけ。僕らは今の毎日にとりあえずは満足して暮らしているけれど、それよりもう少し面白い何かが存在しているんじゃないかなって思うんです。

 

そう考えると僕らにできないことは思った以上に沢山あるんだなって思います。おいしい料理が作れなかったり、難しい本が読めなかったり、いろんなスポーツのルールすら知りません。それがわかったらきっともう少しだけ楽しいことが待っているかもしれないのに。決して難しいことじゃないようなことも、どうしてかできないままで終わってるんですよね。

そりゃ中には才能と呼ばれるようなモノがないと達成できないことだってあります。でも、そういうことって本当に一握りで、大抵のことは意外と何とかできちゃうんですよね。おいしい料理はレシピを見て作れるし、難しい本だって時間をかけていけば何とか読める。スポーツのルールなんてそれをやってる人達に交じれば優しく教えてくれます。僕らが日々思い浮かべるような「できないこと」の内で本当にできないようなことって一体どれくらいあるんでしょうか。

 

「面倒臭がっているだけ」と言ってしまえばそりゃ誰だってそうだとなるんですけど、僕らの日常には「ただ手を付けていないだけ」のことが沢山あるのではないかと思います。「やればできる」なんて言葉は精神論じみていてあんまり好きじゃないし、今の世相ともズレるのかなと思いますけど、案ずるより産むが安し、やってみたら意外とできちゃうことってきっと僕らが思う以上に沢山あるんじゃないでしょうか。「なんか難しそう」とか「こんなの恥ずかしい」とか、そういう心のリミッターみたいなモノが誰の心の内にもあって、僕らの何でもない日常を何でもない日常たらしめているのは案外そういう部分なのかなと思います。

 

とか、いろいろ言ってみたところで、結局できないことはできなかったりするんですけどね。最終的にはやっぱり理想論。「何だってできる!」って言ってみても時間は有限ですし、文字通り、できることには限りがあります。そういう意味じゃ、やっぱり窮屈な日常に暮らしているのだなと思います。できないことはできない日常。悲しいくらいに現実的です。でもだからこそ、その現実の殻を、自分の殻をもがき破いたその外側には、夢を感じずにいられないですよね。