やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

失われたモノをきっと取り戻せるこの世界

「嫌なことがあったら、その分どこかで良いことがあるさ。そうやって帳尻合わせがされるように世界はできてる」というのが僕の持論の1つです。

いつからそんなことを考えるようになったのかは覚えていませんが、そういう風に世界はできているんだろうなと思っています。別に理論的な裏づけがあるわけでもなければ、謎の確信を抱いているわけでもありません。そう考える方が、生きやすいと思うからです。

 

自分にとって良いことがあったなら、それはどこかで貸したツケが返ってきたんだと気兼ねなく受け取ることができるし、嫌なことがあったなら、このツケはどこかできっと返されると平静を保つ助けになってくれます。実際、日々生活していると世界は本当にそうやって回っているのではないかという事件に出くわしたりはするのですが、ことの真偽はともかくとして、この発想は僕の毎日を少しだけ楽にしてくれています。

 

とはいえ、この考え方にも欠陥はあるもので、基本的にことの対象が代替可能であることが前提とされるんですよね。要は「ごめん、今度埋め合わせするからさ。今回は勘弁してよ」っていうやり取りが根底にあるわけです。別に出掛ける約束をすっぽかされたとかならそれで済むかもしれませんが、許せることに限度はあります。損なわれたモノが唯一無二だった場合、それはもう埋め合わせとかそういう話じゃありませんよね。

 

それでも僕がこの理屈を掲げているのは、やっぱりそうやって帳尻合わせがされていると考えるからです。僕らが受け取るのを拒んでいるだけなんですよね。そして僕は思います。どんなに唯一無二だったとしても、それでも代替不可能なモノは存在しません。一見悲しいことですが、ある意味それは救いになることだと思っています。どんなに失われようとも、きっと代わりになる何かはある。そしてそれに必然的に出会えるように世界はできていると考えるなら、現実は僕らが思う以上に優しいのではないでしょうか?

そう考えるのは、ポジティブでしょうか?