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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

失敗した僕は自身を断罪する

「もう少し上手くやれなかったのだろうか」

失敗するたびに考えます。方法、経緯、向き合い方。どこに落ち度があっただろう?何がいけなかっただろう?過ぎたことは、覆せないのに。

こういうのを後悔というのでしょうか。でも、悔いというほど悔いてもいません。どちらかというと負け惜しみの方が近い感覚かもしれません。いずれにしても、以前の僕ならもっと必死だったんだろうなぁと思います。当時は逼迫してました。ちゃんと申し訳ない気持ちになって、ちゃんと自分を責め立てていたろうなと思います。

今はというと、いくらか不真面目になりました。それくらいの方がちょうどいいのかもしれませんけどね。自分の失敗も斜に構えて受け止めるようにもなったので、自分の中で言い訳をして、申し訳ない気持ちに緊張感が無くなったり、自責の念を空に逸らしてみたりもします。そうして前より少しだけ、自分に優しく生きるようになれました。

でも、このしくじってしまったことによる自己否定の感情はいつまで経っても消えないですね。感情とかそういうところとは全然違うところで自分を全否定している。「これで心痛まないとか、お前人間じゃないね」って自分に言い聞かせてるよう。

償ってるつもりなんですかね。

フェンダーのニッケル弦を使ってみた

ということで、今回は音楽系の記事。

いつかの記事ではフェンダーのステンレス弦を使ってましたが、この間からニッケル弦の方を使ってるので、それを記事にしようと思います。

Fender super 250's nickel-plated regular

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エレキギターの弦といえばダダリオかアーニーボール、あるいはエリクサーなんかが定番ですけど、他にも種類は沢山あって、やっぱりそれぞれに特色もあります。自分のプレイスタイルや好みの音によって使う弦の良し悪しがあると思うので、いろいろ試してみると面白いと思います。正直、試しても試しきれない感は否めないですけどね(--;)

さて、今回紹介するフェンダーの弦はメーカー内で最もスタンダードな物ですね。フェンダーのギターが工場出荷時に張られる弦もコレなんだそうです。ステンレス弦の記事でも書きましたが、フェンダーの弦は高音の鳴りがシツコくなくて良いというのが僕の印象です。鳴ってるんですけど、耳障りじゃないんですよね。故にシングルコイルのギターとの相性が良いのだろうなぁと思います。僕の場合はフェンダーのギターにフェンダーの弦張ったんだから、そりゃ相性良くて当たり前なんですけどね(--;) やはりストラトキャスターテレキャスターを手掛けたメーカーの作る弦なのだなという感じですね。

使うことになった経緯

実は結構前からタイミングを窺ってました。それこそステンレス弦の記事を書いた頃からですね。ただ悲しいかな、僕の近所の楽器屋さんはどこもフェンダーの弦を置いてませんでした。インターネットで買おうにも単体で買うと送料がかかっちゃうし、まだ手元の弦使い切ってないし。そんなこんなで今に至ります。こんなに時間が空くとは思いませんでしたね。

実際に使ってみて

思ったより高音ギャンギャンしますね(--;) あのマットとでもいうような高音はステンレス弦ならではだったんだなぁって思いました。それでも他の弦よりはうるさくないです。僕は基本ハイ寄りな音作りなんで、こうやって高音が聴きやすい音だとやっぱりおいしいなぁーとか思ったり。あとなんでか知らないですけど、モチが良いですね。実は張ってからもう1ヶ月近く経ってるんですけど、まだ全然いけそうです。なんでですかね?弾き方とか変わったんですかね。

まとめ

「思った通りの音」というわけでもないですが、だいぶ好感触だったなぁという印象です。これからはこっちに乗り換えても良いなって思いました。シングルコイルのギターを弾く人は試して損は無いと思います。あと単純に僕はシングルのシャリシャリした音が好きなんだなと再確認しました( ̄▽ ̄;) 結局は自分で鳴らして気持ちの良い音出てるかどうかで、それが1番大切なのだなと思います。

 

 

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サウンドハウス

 

(最終更新:2018/06/30)

イロイロ考えるけど、書けない時は結局書けない

どうも、開設から1年に満たないこのブログ。半年強と言えなくもない期間で何度か「記事が書けない」ネタの記事を書いてきましたが、突き詰めたところで結局こういうのって理屈じゃないですよね。

正月明けから上手く日常モードに移行しそびれたからなのか、性懲りも無くまたドツボにハマッてます。今まで何度繰り返したかわからないこの状態をその都度分析してきましたけど、結局防ぎようがないというか、マジなんなんでしょうね。もうそういう周期だと割り切るしかないんでしょうかね。こういう状況に陥ると決まって僕はコンスタントにやっていけることのスゴさみたいなのに気付くと同時に羨ましいような感情に襲われるんですよね。「あぁー、なんで僕はこうやって積み重ねていくことができないんだろう?」って。

「とか言いながらそれでも書いてるやーん」みたいなツッコミは無しの方向で。

書いちゃいるんですけどね。苦し紛れで書いててだいぶ複雑な気分です。もっと淀み無い気持ちで書き続けたいんですよ。「うむ、今日も書こうかね。」くらいのテンションで。何言ってるかちょっとわかんないですかね(--;) つまりは納得のいく形で完成させたいのです。ブログとかそういうネット媒介のモノって自分のやったことに対する反応が気軽にもらえる代わりに、ハードルが低いが故にテキトーなことも言えちゃうんですよね。だから取り入れるものは取り入れるにしたって、自分の価値基準みたいなモノが大切になってくると思うわけです。船頭多くして船山登るってヤツにならないように。

だから僕は日々「こんなんアップして自分はいいのかおらぁー」みたいな問答を密かにやってたりするわけですよ。するとまあこんな風に自分のお眼鏡にまったく適わない時期みたいなのがあるわけで。やってられませんよねぇー。こんな独り相撲何が面白くてやってんだろ。

年末までにやりたいことをやりきれたか反省会

stack-dot-com.hatenadiary.com

はぁーい、反省会の時間でぇーす。

年は明けまして1月も16日。半分が過ぎました。正月ムードもさすがに無くなったことでしょう。ここで、年末に差し掛かる頃に書いていたやりたいことリストがちゃんとできたか振り返ってみましょう。はい、ドン。

大掃除できなかった

できなかったね、大掃除。去年はできないまま帰省しちゃって、年が明ける前で時間が止まった部屋に帰ってきて今年は大掃除しようって決めたのにね。ピッカピカにしてやろうって思ったのにね。まあ今回は年末になって突然のっぴきならないトラブルが起こってたりと仕方ないといえば仕方ない感じでもあるんですけどね。あと申し訳程度に掃除はして帰省したし。33点で赤点回避と言えなくもない感じでした。

断捨離もできなかった

これは完全に言い逃れできない。まるでできなかったよね。ハードオフに売りに行こうと思った物が今もそこに転がってる。ちなみに皆さんは物を捨てられる人ですか?自分の部屋とか家って漁ってみるとけっこう要らない物とか出てくるもんなんですけど、「使わないから」と処分するのって意外と難しかったりするんですよね。個人的には箱です。ゲームとか家電って修理に出す時に買った時に入っていた箱が必要なことがあるんですよね。これがなかなか見切れない(--;) 持っといてもスペースとるだけなんで処分したいけど、もしかしたら使うかもしれない・・・・。とかね。愛着があったり、まだ新品で使ってなかったり。ついつい押入れが物で溢れてしまいますね。

ダウンジャケットは買えた

服こそ捨てられなかったりします。というか、いつまで経っても着てるんですよね。よれたシャツとか。

じゃなくって。買えました、ダウンジャケット。帰省してひと段落するやいなや、時間を見つけて買いに行きました。あんまり何度も吟味する時間は無かったので半ば消去方のような感じで決まりましたが、年末セールもあってなかなか良いモノが手に入ったなと思います。「ちゃんとチャックが閉まる。」これだけでもう僕は十分です。5年6年、いやもっとでしょうか。今まで僕を風雪から守ってくれたダウンには厚い感謝を込めてさよならしました。ありがとう、また何かの因果で巡り会う日まで。

とまあ

年末年始、終わってみれば結構何もできなかったんですよね(--;) やったことといえば一挙放送の逃げ恥を全話観たくらいです。僕これが初めてだったんですよ。朗らかに楽しめました。ダラっと過ごすのが恒例みたいなとこはありますけどね。もうちょっといろいろあっても良かったんじゃないかなぁとか思ったり。ないものねだりですかねぇ。

努力は、必ずしも報われない。

努力が必ずしも報われるとは限りません。

自分が信じてやってきたこと、積み重ねてきたことは基本的には裏切りません。ただ、それが報われるかどうかはまた別の話なんだなぁと思います。

今日からセンター試験だそうですね。この2日間で全国の高校三年生の1年間、いや3年間、あるいはそれ以上の月日が試されます。僕がセンターを受けたのはもうずいぶんと前の話で、今ではすっかり思い出になってしまっています。苦く、酸っぱい思い出です。「あの時もっとやっておけば良かった」とか「どうしてもっとできなかったのだろう」なんてことは当時も今もあんまり思いません。僕はただ無力でした。

僕なりに考えたこと、やったことはもちろんありました。それは確かに僕の力となっていたし、そうして打ち込んだ過程はちゃんと今への糧となっています。でも、それでも僕はやっぱり無力だったし、重ねた努力に意味があっても「だから良かった」なんてことは冗談でも言えません。失敗は失敗で、敗北は敗北です。僕はそれでいいと思います。自分の力が及ばなかった結果に、成果を見出して中途半端に美化したところで、何にもならない。たとえ打ちのめされてしまっても、結果を結果として受け止めて、自身の身の丈を知る時、初めて見えてくるモノがあるんじゃないかと思います。

2018年にやりたいことリスト

今週のお題「2018年の抱負」ということで。

先日の挨拶の記事で抱負っぽいことを語ってしまいましたが、お題ということで改めて書こうと思います。といっても前と同じことを書くのもアレなので、今回はもう少し具体的なことを書こうと思います。ではさっそく。

沢山本を読む

これはもうほとんど言ってるだけみたいな感じになってますね(--;) 毎年高らかに宣言しながら結局数冊も読めないまま年末を迎える光景が目に浮かびます。でも僕は負けません。たとえ読めないままであろうとも読みたいという意思まで失ってしまってはいけないと思うのです。故に、今年もまたここに宣言しようと思います。

今年こそは!沢山!!本を読みます!!!

去年は昔読んだ本を再読することが多かったので、今年は読んだことのない本を読んでいきたいですね。いろいろ開拓していけたらいいなと思ってます。

ギター上手くなりたい

逆にこれはもうわざわざ書く必要も無いんじゃないかってくらいの内容ですね。最近少し気持ちが離れているとはいえ、結局今年も弾き続けてるんだろうなって思います。今年はもう少しじっくり練習する時間を作れたらいいなと思います。去年からそんなことは思ってたんですけど、結局時間が取れないままだったので、今年は疎かだった基礎練から積み直す作業ができたらいいなって思います。カッコイイギターソロ弾きたいですね。

自炊する頻度を増やす

1人暮らしを始めた頃はやっぱりがんばるんですよね。でも年々外食頼りになっていってしまうものです。ここらでストップをかけたいなと。経済的だし健康的だし、時間が取られることを除けば良い事ずくめ。まあその時間こそが最大のネックなんですけどね(--;) 料理に限った話じゃないんですけど、こういう家事を自分でこなすことって単純な生活力以上に意味があることなんじゃないかなと思ってます。「自分のことを自分でやる。」その行為の中に自身を見つめ直すというか、ある種の毛づくろいのような要素があるんじゃないかと思ってます。こう、やっぱり気持ちが良いですよね。逆にままならない時は荒んでるんだなぁーって思ったり。

そういう意味でも1つ1つやっていきたいなと思います。

じっくりと時間を過ごす

結局はこれに尽きるんじゃないかなと思います。目の前のことを1つ1つ、じっくりとこなしていく1年にできたらいいなと思ってます。そうは言っても結局目まぐるしく過ぎていっちゃうもんなんですけどね。時間は待ってくれないですからね。どうしたっていっぱいいっぱいになっちゃいます。それでも過ぎていく時間に流されっぱなしじゃなくって自分の足で歩いていけたらいいなと思います。

そんな感じで

結局ちょっと抽象的になっちゃいましたね。今年もそれなりにがんばって生きたいと思います。改めて、今年もよろしくお願いしますね。

毎日の裏側で「当たり前」は人知れず蠢いている

やっぱり僕の行き着く先はヒキニートなのかもしれない・・・・。

とか、今更言ってみたところでどうしようも無いですけどね。

何となく、僕が何の気なしに暮らしているこの毎日の裏側で、誰かが新しい発見をしていて、それは必ずしも僕の知っている常識と一致するものではなくって、そういう意味じゃ僕の知っているのは世界の一部分だけなんだなと感じます。当たり前だけど教科書に書かれていることがこの世の全てじゃなくて、教科書に載ってないあれやこれやは今日も人知れず日々を担っている。そのことに目を留める人は少なからずいるけど、きっとそれは全員ではない。

当たり前と言えば当たり前なこんな現実も、ふとしたことで再認識するとずいぶん違ったもののように見えますよね。いろんな「当たり前」があって、それの全部に気が付けないまま僕は死んでいく。ちょっと悲しいですね。そんなことを感じたのでした。