/* 以下google広告 */

やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

最近の僕はビールがおいしい

どうも、今月の月間PVも100を超えました。ありがたい話です。

要因としてはやはり先月から始めたツイッターが大きいでしょうね。まあ詳しい話はまた今月末にしようと思います。反省点もちゃんとあるのでね(--;)

 

さて、今回は別にこれという程中身のある話でもないのですが、この頃ビールにハマっているのです。ビアガーデンのこの季節にはもってこい。居酒屋入ったら「とりあえず生」でお馴染み。最近は実はそんなに好きじゃないという人も多いこのビール。結構奥が深いんだとか。

僕はというと、ビールは全然苦手じゃありませんでした。普通に飲めるし、普通に好き。だから好んで飲むような機会が逆にそんなにありませんでした。みんなで飲みに行った時のとりあえず一杯目に頼む感じ。認識が変わってきたのはここ2、3ヶ月くらいですね。とあるご縁があって、ビアフェスティバルに顔を出したのです。そこで沢山のビールを飲み比べたのがキッカケになるんだと思います。前から普通に飲んでたんでちょっと難しいですけど、具体的に興味を持ったのはそこですね。同じビールでこんなに違ってくるのかと。そして、これは日本酒なんかで聞かれますが、おいしいお酒を一度飲むとその良さがわかるというのが、ビールでも言えるのかなと思いました。味の良し悪しがわかったり自分の好みで選べたりというのがビールでもできるんだとわかったあたりから、ちゃんと好きになっていったような気がします。

様々な製法や技術が語られるのは日本酒ばかりですが、なんでもビールにもそういった細かい違いがちゃんとあるんだとか。わかりやすいのだと、日本のビールと海外のビールを飲み比べるだけでもけっこう違います。日本のビールの方が総じて味が濃い傾向にあるらしいですね。ビールの苦いのが苦手という人は海外のビールを試してみてはいかがでしょうか。

 

そんな感じで秋になる頃にはビール漬けの僕が出来上がってるんでしょうか。飲みすぎと痛風には気をつけたいですね(--;) そろそろ梅雨明けです。ビールに限らず、お酒のおいしい夏を楽しみたいもんですね。

「六百六十円の事情」を読んでます。

先日こんな記事を書きました。タイトル通り、初めて本を売った話です。

そこでちょっとした収入があったわけですが「本を売って手に入ったお金なのだから本に使おう」ということで後日、本を売ったお店へ行ってみました。今日はそこで見つけた本を紹介しようと思います。

 

「六百六十円の事情」

f:id:sinajirou:20170719044429j:image

概要

著者:入間人間。刊行:2010年5月。僕が高校生の頃に読んだ本です。当時、恩田陸さんの「ドミノ」を読んだあたりから僕はいわゆる「群像劇」のような内容の本を好みだし、その一冊として手に取った。ような記憶があります。定かではないですね。

物語は地方の街を舞台としていて、そこに住む人達の事情が掲示板に書かれた「カツ丼は作れますか?」という問いかけをきっかけに語られていきます。何でもないように生きている日常でも、みんなが無意識に誰かと関わりあっていて、ハッキリとは見えないけど、お隣さんとも駅前のコンビニのオニーサンとも、実はちゃんと肩を寄せ合って暮らしているんだなー。なんて事を感じる作品です。

感想

この作品は今思えば、僕が入間さんの作品を好きになるきっかけとなった一冊ですね。実家を出る時に他の本と一緒に処分してしまい「そうだ、もう一度読もう。」と思った頃にはもう処分してしまっていました。「奇遇」というほどではないのですが、これも縁かなと思ってもう一度読んでいる次第です。今年の僕は再読してばっかりですね。

入間さんは何というか比較的どこにでもありそうな物語を不思議な切り口からとても魅力的に描く作家さんです。この作品にしたって、特別何か大きなことが起こっているわけではない。あくまで日常は日常で、相変わらず代わり映えしない。なのに、読み終えてみればどこか壮大で。僕らの毎日だって僕らが気付かないだけで、ちゃんと奇跡で溢れているし、ちゃんと劇的なんだ。とか思ってしまう。そんな作品が印象的です。いや、僕がまだそういう作品しか読んでないだけなんですけどね(--;) 良い機会なので、他の作品も読んでみたいなと思います。有名な作品でいえば「電波女と青春男」「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」とかでしょうか。懐かしいですね。

読んできた作品ではどれも話のところどころで、少し哲学的な発想が出てくるんですけど、そこで抽象的な言葉は使わずに日常で用いる言葉だけで説明してしまうのが素晴らしいです。ありふれた言葉で語られる捻りのない哲学には不思議なリアリティがあって、そういうところが作品の魅力を担っている仕掛けなのかなと思ったり。

良かったら、手に取ってみてください。他の作品も読んだら紹介しようと思います。

 

 こちらもオススメ。アニメ化もしました素敵な作品です。

 

 (最終更新:2018/06/30)

初めて本を売って謎の怒りに襲われた話

「出版された本は人に買われる。やがて手放され、次なる人の手に渡る時に、本はふたたび生きることになる。本はそうやって幾度でも蘇り、人と人とをつないでいく。」

なるほど。

この春に映画が公開されて話題になった「夜は短し歩けよ乙女」という小説の作中で、京都の下鴨神社で行われる古本市を舞台にした話があるのですが、そこで言われていた言葉です。曰く、「本はみんなつながっている。」「その本たちが自在につながりあって作り出す海こそが、ひとつの大きな本だ。」そう。なれば、古本市はその途方もない海の広さを見渡せる砂浜のひとつに例えられるのでしょうか。そこから先は数多の海流が流れる海が広がっていて、流れ着いたまた別の砂浜で、無数の本が無数の人を結び付けている。

僕もその流れに一枚噛んでみたい。

なんて格好良い気持ちだけで本を売ったわけではないですけど、そう思うと本を売るのも悪くないなと思えたのです。本は人に読まれるためにありますからね。今流行りのダンシャリも兼ねて売ってみようと思いました。

本を売るならbook off ~♪

 f:id:sinajirou:20170715182424j:image

売った本の数65冊。実家を出てから一度処分しているはずなのですが、思ったより数が増えてましたね。で、付いたお値段全部合わせて3190円。まあ、そんなもんですよね。心が少し抉られたのはレシートの値段の内訳を見た時です。僕の好きだった本たちが10円とか20円、物によっては5円で買い取られています。それを知った時の僕の気分の複雑さといったらもう。

陽だまりの彼女」は「文豪ストレイドッグス」より安くなんかなぁぁぁい!!!!!

いや、知らんがな。不思議なもので今となっては全く読まなくなったような本でも値段が付けられると意外とショックを受けている自分がいるんですよね。もちろん付けられた値段というのは、その本の良し悪しではなく、どれくらい需要があるかにならって付けられているわけであって、その本に対する自分の入れ込み度合いなど反映されるわけもありません。そんなのわかってるに決まってるじゃないですか。

なのに、何なんでしょうね。この自分の思い出に値札を貼られたような気持ち。不肖スタック、やり場も無く憤慨です。

個人によって度合いは異なれど、読書というのは基本的にその世界を味わうことが技術として必要とされます。主人公や登場人物に一定以上共感できなければ、物語の展開など奇奇怪怪ですし、情景描写を自分の中で思い浮かべることができなければ、文章はただの記号になりさがります。思うに、本を読むというのは、その本の世界に自分の心の一部を結び付ける作業のことを言うんじゃないでしょうか。だからそれに値段が付けられた時、自分に値段を付けられたような感覚を覚えてしまう。本の物語は、ただその本の内側だけに完結しないんですよね。

冒頭の言葉は狂言回しように言われていましたが、案外掛け値なしに真実なのかなと思った今日でした。そして僕もまた、新たに古本を通して誰かの心と結びつくのです。

 

 

(最終更新:2018/07/08)

続けてさえいれば、と思っていた。

続けてさえいれば、いずれ何とかなるだろう。

そう思ってました。とにかく絶やさないことが大切なのだと。気持ちが途絶えさえしなければいずれ好機は巡ってくる。続けてきた時間が自分を強くしてくれる。そうして手にしてきたものは沢山ありました。どれも大切なモノです。

どっかで掛け違えたんでしょうか?

それを守る為なのか、それまでを守る為なのか。これじゃあただ続けているだけだ。何とかなるも何も無い。続けていく為に僕が目指した形を切り捨てて、何が残るんだろう?逆じゃないか?違う。つまりはプロセスが間違っていたってことなのか。

「こういうのを目指していたわけではなかった。」

「じゃあどういうのを目指していたのだろう?」

それさえ見失った。ただ惰性以上の気持ちでどこかを目指して続け続けるだけのことはまさしく幽霊船と呼ぶにふさわしい。だんだんとそうなっていった。そこは多分、もう僕の場所ではない。一体誰の場所になってしまったんだろう。ただ、みんながいる場所。公園か何かだろうか。僕は税金を貰って公園の管理をしているわけじゃない。し、僕が好きな人達は公園に来たわけじゃなかった。僕と公園で出会ったわけではなかった。

みんなは良い人だ。そして、賢明な人だ。だから僕に答えを明示したりしない。でも、僕の場所じゃなくなっているかもしれないこの場所について、僕の中に答えなんてあるんだろうか?

思い入れのある過去記事ダイジェスト

どうも。昨日更新した記事でも書きましたが、このサイトの記事数が最近40を越えました。

そこそこ記事が増えてきたので、ここらで過去記事のピックアップなんかをしてみようと思います。裏話的なことも語りながらね。というわけで、いってみましょうか。

 

stack-dot-com.hatenadiary.com

いきなりですが、今日の本題です。これについて書きたくて今回の趣旨を決めました。更新日からはや2ヶ月経つも、未だ人気の記事の最上位に位置し、当サイトにおけるgoogleの検索ヒット数ダントツ1位を誇るAQUOS K の紹介記事ですね。ちなみにyahoo! の検索でも同率トップを張ってます。気まぐれというわけでもないのですが、少なくとも狙いにいった記事ではありませんでした。もっと言うと、そこまで良い記事が書けたという手応えもありませんでした。なのに、なぜ。

推測に過ぎないのですが、この記事に関しては単に紹介した物のチョイスが良かったんじゃないかなと思います。そもそもレビュー記事を書いている人が多くなかったのでヒットしやすかったんじゃないかと。実際に2年間使っていたというところから語っていたのも強かったのではないかと思います。アフィリエイト記事を書くテクニックに「ニッチな商品で勝負する」というのがあります。要は競争率の低いところで戦おうという考え方ですね。この記事は期せずしてそれに当てはまっていたんだろうなと思います。

ただ、残念なのが収益にはほとんど繋がらないだろうということです。携帯は普通は機種変更と一緒にお店で買いますからね。ネットじゃまず買わないです。そういう意味では詰めの甘い内容だったかなと思います。

 

stack-dot-com.hatenadiary.com

次、これも比較的人気のあった記事です。こういう記事が僕は好きです。自己啓発というほど大々的ではなく、少しだけ日々の過ごし方を良い方向に変えてくれるような、そんな日常的な気付きを脚色少なく語った記事です。こういうニュアンスの記事をもっと沢山書きたいと思っていたり。とはいえ、こういう内容はなかなか浮かんでこないもので、絶えずアンテナを張り続ける必要があるのですよね。あと、検索でのアクセスに滅法弱い傾向にあります。故にあまり実用的でない。でも、大事にはしていきたい。そういう部分ですね。

そういえばこの記事はAQUOS K の翌日に更新されてます。当時の僕はだいぶノッてたんでしょうね。

 

stack-dot-com.hatenadiary.com

この記事はただただ大変でした。

この記事の次の更新で詳しく語りましたが、本当に書くのに手間のかかった記事でした。シールドと呼ばれる、バンド音楽などで使うケーブルを自作しました。いわゆる「技術系ブログ」というモノに始めて手を出してみた内容だったのですが、まあ苦労しました。こんなに面倒なことをこの界隈の人達はやっていたのかと。

僕がブログで収入を得ることを考えた時に、多くはなくても永続的な収入であることと、その収入に見合った内容を提供したいという思いが、まあ愚かながら一応はありまして。そういう条件に当てはめて考えると技術ブログは方向性としてちょうどいいのではないかと思ったことがあったのでした。そういう考えと自分の趣味とを結びつけて、その入門編としてこのようなことをやったのですが、苦い思い出になりましたね(--;) 技術ブログは続けていこうとは思っていますが、主戦力になる日はまだ遠そうです。

 

とまあこんな感じで思い入れのある記事を3つ紹介させていただきました。他にもいくつかあるのですが、すでに記事がそこそこの長さになっているので、今回はこの辺でオヒラキにしておこうと思います。また記事が増えたと感じた頃にやろうと思います。良かったら他の過去記事も見てみてくださいね。それでは。

アフィブログを書くのは難しい。

どうも、若干間が空きましたね。

当サイトの記事数も40記事を越えました。少しずつではありますがゆっくり歩みを進めてきているのだなといった感じです。このサイトを立ち上げた時に掲げた目標というのはいくつかあるのですが、その中の1つに投稿数100記事というのがありまして。まあまだまだ道のりは遠いですけど、どうやら峠に差し掛かってきているようです。

さて、今回はそろそろ商品紹介の記事を書きたいなと思っていたのです。

が。

先日とある事情により僕のクレジットカードが再発行される運びとなったので、現在インターネットでの買い物が大変不便な状態となっております。よって今回は見送りにしようかなと思います。

しかしあれですよね。一応アフィブログのはずなのに、一番更新頻度の低いカテゴリーが商品紹介ってどうなのよ(--;) アフィブログって難しいなんていう話はこれまでの40回の更新でたびたびしてきているので、聞き飽きている人もいるんじゃないかと思います。けど、やっぱり難しい。

何が難しいって書いた記事が100%利益に反映されないところが難しいです。まず僕がそうなんですけど、基本的にインターネットでの買い物って現物を手にとって確認することができないから不安要素が大きいんですよね。だから、インターネットで情報を集めることはあっても、その場で買おうとはなかなかいかない。利益を得るにはなるべくその場で買ってもらえるような工夫が必要になってくるわけです。多分ここが、報酬を貰える人と貰えない人の分水嶺なのかなと僕は思っているのですけどね。仮に工夫を凝らしてみたとして、その制約下で記事を書くことの難しいこと難しいこと(;;) 自由に内容を決めて書く時でさえ、120%満足のいくデキにはそんなにならないというのに、そこに縛りを加えてどうやって安定的に良い記事書けってんですか。無茶ですよ!

じゃあやめちゃえよって話なんですけどね。まあブログ自体は嫌いじゃないので。はい。

とはいえ、アフィブログはやっぱりハードルが高いので、現状そうなっているようにどうしても敬遠しがちになってしまうんですよね。数打ちゃ当たるの戦法も有力なのかなとは思いますけど、まず手数が足りないのと、先のことを考えると少ない労力で利益を得られるような方法の方が望ましいのでやっぱり現実的ではないんですよね。どうしたらいいのでしょう?

と、いうことで。さしあたってはページの背景画像を変えてみました。これで前より見やすくなったんじゃないかなと思います。そのうちレイアウトをオリジナルのものに変えてみようと思っています。時間はかかりそうですけど、その時のことも記事にして解説できたらと思ってます。それでは、今回はこれにて。

(最終更新:2017/12/06)

n-bunaさんの曲を聴いてから夏を好きになった話

どうも、今回は少し久々にお題に沿って書こうと思います。

今週のお題「私の『夏うた』」だそうですね。桜にまつわる歌とクリスマスソングに並ぶ季節の歌の大定番ですね。ジャンルを問わずあちこちで歌われてます。個人的な思い入れを語れば、ゆずの「夏色」からアジカンの「夏蝉」、スキマスイッチの「アイスクリームシンドローム」なんかが好きですね。どれも僕の夏の日を爽やかに彩ってきた曲たちです。

ですが、今回僕はn-bunaさんの曲を紹介しようと思います。

www.nicovideo.jp

知っている人はみんな知っている。けれど知らない人は全く知らない。ネット社会が普及してからはそんなこともよく見られるようになりました。その界隈のひとつとしてボーカロイドがあります。どうしても声のクセが強いので、受け入れられる人とられない人の違いが顕著に出てしまうコンテンツです。そのボーカロイド界隈で今や知らない人はほとんどいないだろうというほど有名なクリエイターの1人がこのn-bunaさんなのですね。その知名度を決定付けたと言えるであろう曲がこの「夜明けと蛍」。

ネガティブな曲です。でも良い曲。音楽の技術的な話は僕は素人なので語れないのですが、不思議なものでn-bunaさんの書くの夏の曲は情景がありありと浮かび上がるのですよね。ニコニコは動画サイトですから、基本的にボーカロイドの楽曲は「MV」という形で認識されます。なので曲にはほとんど当たり前に「絵」が付くのですが、それが必要ないくらい、曲を聞くだけで、誰がどんな景色にどんな気持ちで立っているのかが伝わってくる。まあこういうのって曲に限った話じゃないですが、どうしても受け取った人間の偏見というかフィルターみたいなモノがかかってしまうもので、結局作者の伝えたかったことが100%そのままは伝わらないものです。だから、僕の中に浮かび上がるこの情景がn-bunaさんの見せたかったそれだったかどうかなんて厳密には言えないのですが、それでも「これを作った人はこの夏の風景をそんな心情で観ていたのかな」というのがキレイに伝わってくる。

 

そして、僕がn-bunaさんの曲を推す1番の理由が切り取る情景の幅広さなんですよね。

www.nicovideo.jp

ひと言に「夏」と言っても、この人は1年間の内の2~3ヶ月の中に目まぐるしいほど沢山の情景を見出して、切り取って曲にしている。そしてそのどれもがちゃんと美しい。「夏というのは、こんなに沢山の表情を持った季節だったのか」と感動したのを覚えています。きっと僕みたいにn-bunaさんの曲を通じて、n-bunaさんの曲で夏の情景を見て、夏を好きになった人がいるんじゃないかと思います。

今回はとにかく褒めちぎってますね。まあ自分の好きな曲の話なんだし良いじゃないか。以上、僕の「夏うた」の話でした。これからの季節に是非一度、聴いてみてはいかがでしょうか。