やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

学校に行きたくない自分とどう付き合うか

全員が同じように学校へ出掛けていくというのは、それはそれで気味の悪い光景なのかなとも思います。

なんというか、そりゃまあ「道」を踏み外す人間は少ない方が良いわけで、そういう人が身近にいたならば、極力踏み外さないように引き止めることでしょう。僕はイワユル「道」を踏み外してしまった人間なのですが、こういうのは理屈じゃないよなぁと感じています。なぜこうなってしまったのか、どうすれば元に戻れるのか、理由と呼べるようなモノを探して何年と頭を捻って捻って絞り尽くしたりしましたが、具体的なモノは見つかりません。浮かんでくるのは「そうなったきっかけ」と「そういう性質だった」という事実だけ。そこに科学的な何かが働いてある日真っ当じゃなくなるわけではないんですよね。そういう意味じゃ本質的な部分は何も変わっていなくて、ただ学校という場所にいられなくなっただけなんじゃないかなとも思います。

 

それが問題なんですけどね(--;) でも当たり前といえば当たり前なのかなとも思います。どんな過程を辿ったにせよ、1つの場所に人が沢山集まれば、必ずあぶれる者が出ます。確立論的ではありますが、そういう人が全く現れないというのは理論値ですよ。逆に不自然です。

たまたま自分はあぶれた側だった。

それ以上でも以下でもないのかなと、冷淡な言い方ですけどね。結局はそこに落ち着くのかなと思います。原因を探ることが無駄だとは思いませんが、そこに答えはないですよ。考えるべきはそこからどうするかです。あぶれてしまった自分とどう向き合うか、どう受け入れるか、どう付き合っていくか。そこを考えて初めて、あぶれてしまったことに意味が生まれるのかなと思います。「神は乗り越えられない試練は与えない」というやつです。

まぁ、僕も時間が経った今だからこんなことが言えるんですけどね。とはいえ、道のりはまだまだ長いです。