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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

たまにはグダグダ書いてみる

なんか、最近新しいことばかり書いているような気がしているので、たまには以前書いていたような感じの記事もグダグダ書いてみようと思います。

え?普段からグダグダ書いてるって?

バカ言っちゃいけませんよ。普段の僕はそりゃもうバリバリですよ。

そういえばの報告になるのですが、今月分から運営報告は月明けに書こうと思います。なので、今月の報告は来月の頭になりますね。年末にも言ってましたが、最近は何かと数字の変動が大きくて報告を書いた後に結果が変わるなんてことも増えてきたので、1ヶ月が終わってから全体を振り返る形に変えていこうと思います。ってここで言っても仕方無い気もしますけどね。

ていうか、あれですね。年が明けたと思ったらもう1月が終わるんですね。早いですね。思えば毎年1月はバビュンと過ぎていってるように思います。まず年明けムードが大体上旬いっぱいまで続きますからね。クリスマスから続くお祭りムードを通常運転に戻している間に中旬が過ぎていって、気付けば下旬で「あ、1月終わる」みたいな。年の始まりということもあって、何だかんだ忙しいんですよね。個人的にも今月はそんな忙しさにかまけてブログの更新が滞ったりしてましたし。

来月に今月よりも日数からして短いのですが、1日1日しっかり向き合っていけたらいいなと思いますね。3月になると来年度に向けてまたゴタゴタしますからね。それまでじっくり過ごせたらいいなと思います。

これは今月の経過の早さに関係するのかはわかりませんが、この頃は以前よりもセッカチになったような気がします。具体的に例を挙げろと言われると難しいのですが、歩くスピードがどことなく早くなっているような気がしたり、待合室でもアナウンスがあるとすぐ立ち上がってしまったり。気のせいなのかもしれないくらい些細ではあるのですが、なんか落ち着きが無いんですよね。「思い切りの良い1年を」とは年初めに書きましたが、そうは言っても落ち着くべきところではドッシリしていたいなとも思います。

んー、どっちつかずなんでしょうか?

「お金を使う」ということについて

「お金を使う」ということはどういうことなのだろうと、ふと立ち止まって考えたくなりました。

別にそこまで哲学的な悩みや考察をしたいわけではないのですが、僕らが普段当たり前にこなしているこの行為がなんだか最近違ったモノのように感じているのです。

元を辿れば、それもこれも全ては貯金を始めたところに起因しているのでしょう。貯金というモノを始めてから僕の毎日は少し形を変えました。「決意をするだけで生活に変化を感じはじめた」という話はこの間しましたが、具体的には「貯金とは日々の生活サイクルを通して少しずつお金を捻出していく行為だ」という風に認識を改めるようになりました。

月々の収入から一定の金額を貯金するお金として天引きして、その範囲内で生活すること。必要以上の浪費を抑えることで、天引きする金額を増やしていけること。突発的なことではなく、日々の営みの中に貯金という習慣を馴染ませていく中で、僕の日常には「積極的にお金を使わない」という選択肢が生まれました。「ここで使わなければ貯金に回せる」という考え方ですよね。ただここで思うのが「お金は使って初めて意味が生まれる」ということです。

お金というのは紙幣や硬貨という形で実体こそ持っていますが、その本質は国民が認めた価値であり、紙幣や硬貨自体に特別性は全くありません。ただの紙切れと鉄くずでしかないんですよね。何かと交換できるから意味があるし、その意味は何かと交換される時になって初めて生まれます。何が言いたいかというと、延々貯金していてもただ数字が増えていくだけなんですよね。そこで出てくるのが「貯金をするにはまず目的を持ちましょう」という話なんですが、それってつまり究極的には「僕らがお金を貯めるのは、何かにお金を使うため」ということになるわけです。・・・・もうなんかワケわかんなくなってきますよね(--;)

きっとこれは考えれば考えるほど難しくなってくだけで、結局のところ「使いどころを見極めましょう」というオチでしかないのだろうとは思います。年末年始の飲み会代1つとっても「無駄な浪費」とも「仲間との交際費」とも捉えられますからね。ただ、確かなのは「お金を使う」というタイミングにおいて、目の前の消費と「お金を貯める」という選択肢、そしてその先にある自分の目標を秤にかけるようになりました。これによって僕の生活は前よりシビアになったようです。

「お金を使う」ということは難しいことなのだなと感じます。

 

(最終更新:2019/01/29)

パソコンのモニターが壊れた

「今ブログ書けてるじゃねぇか」ってね。

どうしようもないほど色調が狂ったり、ばっさり見えなくなったりしたわけじゃないんですけどね。昨日あたりから画面に付いているボタンが壊れたのか、延々画面や映像の設定ページが開き続けるオサレ仕様になりました。しかもパソコンと連動していないモニター独自のページなので、カーソル移動できない。閉じるボタンなど存在しない。よっていつまでも画面中央にデカデカと居座ってくれる。ステキ。書けないわけじゃないんですけど、どうしたもんかこれ。

まさかパソコンより先にモニターにガタが来るとは。このくらいなら修理でどうにかなりそうな気もしますけど、このモニターもパソコンと同じでいい歳なので、とっくに買い替え時といえばそうなんですよね。そうは言ってもモニターだって安くはないですからどうしたもんかと首を捻っています。まあただただ設定画面は邪魔なので、どうにかしない選択肢は無いんですけどね。

 

※追記(2019/01/27)

モニターのフレームを外そうとガシガシやっていたら治りました。やはりというか、どうやらボタンの接触不良が原因のようです。治ったとはいえ、そこそこ古くなっている現状は変わらないので、いつまたダメになるのかといったところですが、とりあえず急いでモニターを買い換える必要はなくなりました。さて、どうしましょうね。

決意するだけでも生活に変化は現れ始めた

初めてからまだそんなに時間が経っているわけでもないので、ほんの感覚程度の話なのですが、「お金を貯めよう」という意識があるだけで意外と生活に変化があるように感じています。

あくまで最近そんな風に感じているというだけの話です。先月末からお金を貯める宣言と同時にレシートを集め始めてはや1ヵ月。実際にやっていることと言えばレシートを集めているだけなのですが、今月はどうしてか先月よりお金に余裕があるように感じています。まあ、実際来月には大きめの出費を控えているので、今月はなるべくお金を使わずに生活してきました。他にもコンビニや外食に行く頻度もいくらか減らすようにしているし、この現状は必然といえば必然なんですけど、そうは言ってもどっかしらで無駄遣いしてしまうものだったりもするんですよね。

「お金を貯める」という決断が、必要以上の浪費を抑える原動力になってくれているのかなと思います。反対に「節制しよう」という意識が無ければ、意識的にせよ無意識的にせよ、お金はあるだけ使ってしまうものなのかなぁと感じました。「意志の強さ」みたいなモノは人によっても場合によっても違うでしょうし、どこまで変わってくるみたいな確かことも言えないのですが、意識を持つだけで、生活の風向きは変化を見せるものなのだなぁと思うこの頃です。

最初なのでプログラムを書こうと思ったら、それすらできなかった。

というわけで、今回からパソコン系の記事も書いていこうと思います。

初回ということもあるので、なんかパソコンっぽいことやりたいなぁと考えて、安直に簡単なプログラムでも書いてみようと思いました。

プログラミングというと結構ハードルが高いように感じるかもしれませんけど、意外とそんなことはありません。簡単なモノであれば、ちょちょっとフリーソフトをダウンロードするだけで始められてしまうのです。そんなわけで、お手軽にプログラミングを始めるためにダウンロードしてもらうのはコチラのソフト!

 

 

・・・・そんなものは無かった。

いや、軽く衝撃でした。任天堂がゲームの中にNAND回路を盛り込んでくるこの御時世、コンパイラのダウンロードがこんなに面倒なことだとは思いませんでした。テキストエディタならまだお手軽なモノがあるんですけどね。コンパイラともなるとメジャーに使われているものはどれも海外由来のモノばかり。なのでインストールするためには画面いっぱいに英語が並ぶわけのわからないページに飛ぶ必要があり、日本語で書かれてても初心者には謎な専門用語を英語で読まなければならないという、どう足掻いて昼飯まではかかるし、なんなら晩飯までかかってしまうような手段しか取れない現状があるようです。

しばらく前なら苦Cというサイトが開発したそんな現状を打破する素晴らしいソフトがあったのですが、現在のwindows10にはどうやら非対応のようです。リリースされてから2年経ちますが一体どういうことなのでしょうか。

・・・・ん?てか、あれじゃね?僕がいつまでもwindows7使ってるから知らないだけで、もしかしたら今のwindowsOSにはデフォルトでコンパイラが入ってたりするんじゃね?

と思ったんですけど、どうやらそんなこともないみたいですね。となるとやっぱり開発環境を整えるのは相変わらず厄介な現状にあるみたいです。・・・・どうにかならないもんですかね(--;)

忙しい時ほど見失わずにいたい

どうも、何だか年明け早々にドタバタした毎日ですね。

ブログの更新も途切れ途切れ、踏ん張って隔日で更新していた昨年ですが、今年は「まあ、そんなこともあるかな」と思ってしまったが最後。月あたり10記事以上のノルマさえ、今月は途絶えてしまいそうな調子です。

別にダメなんてこと、無いんですけどね。お金が発生しているとはいえ、アルバイトにもならない規模ですし、基本的なモチベーションは僕の気持ち1つ。趣味の範疇です。だからやらない時期があっても困ることは無いし、困る人もいないんです。

でもまあ、正直あんまり芳しくはないですよね。明らかに時間に追われているなぁという感じ。寝て起きてを繰り返して気付けば1月は下旬になりました。他の人は違ったりするのかもしれないのですが、僕は時間に余裕が無くなってくるとブログのように何かを生み出すような、自分の中からのアウトプットがある作業ができなくなってきます。時間に追われていると立ち止まってふと何かを考える余裕が無いんですよね。更新から1日経って画面に向かってみても、過ぎていった予定があるだけで何かを感じた思いはあんまり残りません。「ちょっとの余裕」これが大切。

忙しい日々の中でこそ、余裕を保つことを意識したいと思っています。

当たり前といえば当たり前のことなんですけどね。僕らの暮らすこの時代はできることが沢山あるので、ついつい行動が先走りがちなんですよね。でも、行動には原理があって、根底には何かしら人の思いがある。そこを見失わないようにしたいです。確かに目の前にあるモノをこなしていく事は重要なんですけどね。たまには遠くも見渡しながら、程よい距離感でやっていけたらいいなと思います。

痩せたい

太りましたね・・・・。

5キロはさすがに言い過ぎかもしれませんが、3~4キロは太ってるのではないでしょうか。人の身長は1日の中で実は変動していて、朝起きた時が1番大きく、眠りに就く頃には少し縮んでいるのだとか。体重も例外ではなく、何を食べたかを反映して、日々変動していきます。こんなの当たり前のことなのですが、普段体重を測る習慣を持たずに育った僕は、身体測定の数値がそのまま1年間保持されるような感覚でいました。

「痩せよう」と、そんな安直な思いつきで、去年の夏に体重計を購入してから「食べ過ぎたら太る」という当たり前のことをリアリティを持って認識した次第です。あれから半年、おそらく僕は生まれて初めて「正月太り」というモノを体験したのだと思います。結構、笑えないですね。どちらかというと僕は太ってるとかチビとか、そういう身体的特徴みたいなことにコンプレックスや偏見みたいなのをあまり抱かない人間なのですが、何というか喪失感のある体験でした。これが世に言う「やってしまった感」。自分の怠惰を白日の下に晒されたような、そんな気がします。

たぶん見た目とかそういう問題だけではないんですよね。運動不足とか食事の不摂生とか、そういうことが募り募って結果太るわけで。それはつまり自分の精進が足りていない証なんですよね。そこにショックを感じました。どうにかできたはずなのに。

まあ、お酒を飲まない生活も、おいしいものを食べない生活も、僕はやってられませんから、自分を甘やかすことくらいはあっても良いと思いますが、それでも羽目を外し過ぎたなと反省しようと思います。動こうと思います。あと外食も控えていきたいです。