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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

「お金を使う」ということについて

「お金を使う」ということはどういうことなのだろうと、ふと立ち止まって考えたくなりました。

別にそこまで哲学的な悩みや考察をしたいわけではないのですが、僕らが普段当たり前にこなしているこの行為がなんだか最近違ったモノのように感じているのです。

元を辿れば、それもこれも全ては貯金を始めたところに起因しているのでしょう。貯金というモノを始めてから僕の毎日は少し形を変えました。「決意をするだけで生活に変化を感じはじめた」という話はこの間しましたが、具体的には「貯金とは日々の生活サイクルを通して少しずつお金を捻出していく行為だ」という風に認識を改めるようになりました。

月々の収入から一定の金額を貯金するお金として天引きして、その範囲内で生活すること。必要以上の浪費を抑えることで、天引きする金額を増やしていけること。突発的なことではなく、日々の営みの中に貯金という習慣を馴染ませていく中で、僕の日常には「積極的にお金を使わない」という選択肢が生まれました。「ここで使わなければ貯金に回せる」という考え方ですよね。ただここで思うのが「お金は使って初めて意味が生まれる」ということです。

お金というのは紙幣や硬貨という形で実体こそ持っていますが、その本質は国民が認めた価値であり、紙幣や硬貨自体に特別性は全くありません。ただの紙切れと鉄くずでしかないんですよね。何かと交換できるから意味があるし、その意味は何かと交換される時になって初めて生まれます。何が言いたいかというと、延々貯金していてもただ数字が増えていくだけなんですよね。そこで出てくるのが「貯金をするにはまず目的を持ちましょう」という話なんですが、それってつまり究極的には「僕らがお金を貯めるのは、何かにお金を使うため」ということになるわけです。・・・・もうなんかワケわかんなくなってきますよね(--;)

きっとこれは考えれば考えるほど難しくなってくだけで、結局のところ「使いどころを見極めましょう」というオチでしかないのだろうとは思います。年末年始の飲み会代1つとっても「無駄な浪費」とも「仲間との交際費」とも捉えられますからね。ただ、確かなのは「お金を使う」というタイミングにおいて、目の前の消費と「お金を貯める」という選択肢、そしてその先にある自分の目標を秤にかけるようになりました。これによって僕の生活は前よりシビアになったようです。

「お金を使う」ということは難しいことなのだなと感じます。

 

(最終更新:2019/01/29)