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やぎ座のヒトリゴト

僕の思ったことを書いていきます。雑記ブログです。

外国語を学びたいとぼんやり思う

英語とは言わないですけど、外国語を扱えるようになりたいなと思います。

急に意識高いような記事になりますが、そう思うのです。遡れば電脳系の記事でvisual studio が上手くインストールできなかった話が出てくるのですが、解決策を探していた時に英語のページがいくつかヒットしていたんですよね。何となく読めないこともないんですけど、イマイチ容量がえられないんです。「言葉を知らないと可能性が狭まる」みたいな話は理屈としては知っていたのですが、こういうことかと実感したんですよね。読めたところで問題が解決したかはさておき、間違いなく取れる手段は増えたはずなんですよね。

こんな風に、言葉を知っているだけで広がる可能性とか世界ってきっともっと沢山あるんだろうなって思います。言葉を知っていたならば、出会えたかもしれない人とか、得られたかもしれない機会とか、見つけられたかもしれない場所とか、そういうモノが沢山あったと思うとなんだかもったいないと考えるようになったんですよね。

日本という国では、英語の勉強が必須とはいえ、英語を習得せずとも大学までの教育課程を修得できます。僕らからすれば当たり前なのですが、世界的に見ればこれは珍しいことなんだそうです。母国語に翻訳されている教科書が少ないので専門的な知識を得ようとした時に英語の習得が不可欠なんですね。世界における日本の翻訳書の多さは異常なのだそうです。ゆえに、日本語だけで不自由なく暮らせてしまいます。だから、取りこぼしている可能性の存在に気付きずらいんですよね。

言語を学ぶことで、今の自分には見えない世界が見えてくるというは、何だか夢のある話だなと思います。

サボテンの経過報告2

ここのところめっきり更新が無かったので、久々にサボテンの記事を書こうと思います。

と言っても、今は冬場。変化も少ないような時期なので、正直あんまり書くようなこともないのですが、まあ、ぽつぽつと、近況報告も兼ねてやっていこうと思います。「一応、続いてますよ」って生存報告にもなりますしね(--;)

最近のサボテン

以前の植え替えをしたばかりの頃は、謎の愛着を持ってベタベタと愛でたりもしていましたが、最近はというとそんなことも無く、程よい距離感を持って接しているかなと思います。この時期の水やりは月に1回くらいでいいそうなので、基本的には窓辺に置いておくだけ。たまに思い出した頃に眺めるような関係性です。

以前の更新で調べていたトゲの先が茶色くなる現象はいつの間にか解消していました。やはりベタベタ触ったのがいけなかったんでしょうかね(--;)

低温期とは

「低温期」というワードが気になったので少し調べてみました。サボテンは12月から2月にかけて「低温期」という時期に入るそうで、主な生長期である春や秋とも、生長が止まる時期である3月や11月とも、また違うようです。

「止まるより先に何かあるのだろうか」と思って調べてみると、どうやらこの低温期、「休眠期」とも言うそうで、極端に生長が遅くなる時期を指して使う言葉のようです。「生長が止まる」と言っても、ピッタリ停止しているわけではないようですね。ある程度植物として営みが落ち着くのが3月、11月でそこからさらに穏やかになる時期といった感じでしょうか。なので最低限の水やりが必要だったわけですね。

まとめ(のようなもの)

そんな感じで、相変わらず窓辺に佇んでいるサボテンでした。

変化というほどのものでもないかもしれませんが、前より根元がグラつかなくなったような気がします。根が張ってきたのでしょうか?それとなんだかちょっと大きくなったような?時期的に見ればけしてそんなはずは無いのですが、窓辺とはいえ暖房をつけた部屋の中ですからね。多少は生長しているということなのでしょうか?

 

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※今回は、主にこの辺から勉強させてもらいました。

初心者卒業!多肉植物の冬越しに自信が持てる育て方 | ひとはなノート

サボテンの「休眠」について、ご意見願います。 - 以下、私が思う事です。●... - Yahoo!知恵袋

偽物でも、存在することに意味が宿ると思っていた

ずいぶん変わったよなと思います。

具体的にいつとくらべてという話になると難しいのですが、ここ数年間、変化の多い日々を過ごしてきました。新しい場所に来て、新しい人に出会って、新しいことを始めて、いろんなモノが始まって、いろんなことがあって、だからいろんな影響を受けていました。

確かなモノを求めていました。変わらないモノを、自分の中に不変な部分を持っていたかった。ブレてしまうことは裏切りになるから、自分という人間を定義してそこに確信を抱いていたかったです。

変わっていってしまうことが、嫌でした。今あるモノや日常が形を変えて、失われてしまうことが悲しかったです。なるべく記憶に焼き付けていようと思いました。できる限り、今あるモノを味わい尽くそうとしました。だから、どこまでも客観的でいたくて僕はいつも傍観者でした。今思えば、そんな毎日の中でも僕は少しずつ変わり続けていたようです。

前より少しだけ歳を重ねました。変わらないような景色でも視点が変わることで見え方も変わってきます。それによって浮かぶ感想に変化が現れ、だんだんと僕の思考自体にも変化が及んでいきます。その過程でいろんなことがありました。僕は、意外と染まりやすいようですね。

最終的には変化を望んでいました。「紛い物でもいいから」とあんなに切望した不変も、今は脱却する対象に成り下がってしまいました。思考自体はずいぶん健全になりました。更正したと言って良さそうです。偽物を偽物だとして、それを正そうとすることは真っ当なことなんだと思います。一方で、正しさだけでは救えないモノに手を伸ばして、偽物だったとしても、矛盾を成立させる可能性に縋った僕もきっと間違っていなかったんだと思います。救われない僕も、大切な僕でした。

次へ進んでいく僕はきっと今まで以上に変わっていくのだと思います。今後、それまでの僕からはどんどん遠ざかっていく。いつか、この日の僕を懐かしく振り返る日が来るのでしょう。その時まで、さようなら。

ブログのランキングサイトに登録しました

ということで、事務連絡的な内容になりますね。

このたび当サイトはにほんブログ村に登録することにしました。

これも「今更何を」と言われてもいいような案件ですね(--;) にほんブログ村はブログのランキングサイトになります。ここに登録して、ランキング上位を目指すことで、このブログにも新しいアクセスルートを作ろうという企みですね。

ブログ全盛時代だった2000年代と比べればずいぶん落ち着きましたが、未だにブログ界隈では大きな影響力があるそうです。僕はといえば、このはてなでブログを始めてからずっとはてなの民で同じドメインの中をウヨウヨ彷徨っていたのですが、外を見渡せば大きなブログサイトはゴマンとありますからね。これを機にもっと沢山のブログに触れていきたいなと思います。

楽器の錬度はDTMソフトにも共通するらしい

「楽曲製作にも錬度というか、上達具合があるんだな」という当たり前のことを体感したこの頃です。

ここのところ、パソコンの勉強をやり直す流れでいつからか途切れていたDTMの方もまた触り始めているのですが、何というかやっぱり上手くいかない。別に長々やってきたわけでもないし、やってない間に抜け落ちているモノも少なからずあるんでしょうけど、まあ思い通りにならないものですね。

不思議なモノで何となく頭に浮かんでいたアイデアでもいざ音符に起こして作ってみると、全然面白みの無いものだったりするんです。何かの小説で「アイデアは頭の中にある頃が1番愛着が持てる」みたいなセリフがあったような気がしますが、本当にそんな感じです。実体を持って、外の空気に触れた途端に陳腐なモノに成り下がってしまうような。

同じ楽器でも誰が弾くのかによって全く違った表情を見せるように、楽曲製作でも、どれだけそれに触れてきたかが、音楽に反映されてくるのだろうなぁと思います。パソコンという媒体でそういった経験をするのは不思議な感じがしますね。とにかく毎日触って基礎練習やってたギター始めたての頃の感覚を思い出そうと思います。

「絶好のタイミング」という幻影

いつからか、なのはわからないです。

「万全の状態で臨める時の方が少ないよな」と思うようになりました。

それは体調であったり、資金源であったり、準備段階であったり、具体的に何とは言いずらいですけど、何かをやろうと思った時にちょうどそのためにやってきたかのような「絶好のタイミング」なんてのは中々無いんですよね。どころか、なんでもない「タイミング」でさえ都合よく訪れてくれないなと思います。いつ、どういう時に「ここだ」となったところで、きっと何かしらが足りていない。というか、足りないものを挙げていけばそもそもキリがない。

「タイミング」なんてモノはきっと存在してなくて、ふと目の前に転がってきたそれを「きっかけ」として捉える自分自身がいただけなんだと思います。タイミングは自分で作るモノ、状況は開拓していくモノ。そういうことなのだろうなぁと思います。

今日も目の前の作業が手につかないです。まあ、コーヒーでもどうぞ。

step2:月の収入から貯金するお金を天引きする

2回目はこれ。今回から本格的に貯金をしていきます。

やることは簡単で、1ヵ月の収入から一定金額を貯金するお金として口座に貯めていきます。「今回から」とは言っていますが、実際のところ僕は12月からこれをやり始めました。とりあえずは月1万円を天引きする金額に設定しています。元々口座に入っていた金額が1万円なので、現在は3万円貯まっていることになりますね。

とまあ、簡単に言ってますけど、これが中々難しいんですよね。「もう貯金できてんじゃん」みたいな声も聞こえてくるようなこないような。

今回、タイトルがゴチャゴチャしてくるので起こす行動を1つに絞ってますが、実際には具体的な行動を3つ起こしています。それは

  • 貯金用の口座を作成する

  • 自分の収入の範囲内で生活する

  • 収入から貯金するお金を天引きする

この3つですね。貯金するお金を天引きするまでに2つステップを踏んでいます。なので実際は「step4:貯金するお金を天引きする」くらいになってます。

まずは1番上の「貯金用の口座を作成する

これは元々持っていたネット銀行の口座をそのまま流用することにしました。コンビニATMで手数料タダでお金を下ろせるので作ったのですが、いつの間にか月4回までに制限がかかっていましたね。悲しい。貯金用の口座になったことで、今後はお金を下ろす機会も減ると思われます。なので丁度良かったかなとも思ったり。

貯金用の口座を作るのは「お金を下ろしてしまうのを防ぐため」なんだそうです。給与口座にお金を貯めているとついついお金を下ろしたくなってしまうもの。そうじゃなくても月々の支払いなんかで貯めていたお金がいつの間にか消えてしまっていたりするんですよね。そういったことを防ぐために、「お金を貯めるための口座」を作って、自動的に引き落とされたり、生活費とイッショクタに使ってしまうことを避けます。これで「貯めているはずなのに無くなってる」という現象を防ぐんですね。

次は2番目「自分の収入の範囲内で生活する

これがメチャクチャ難しいと思います。僕も今のところこの2ヶ月は成り立ってますけど、いつダメになるかわからないです。僕が何よりそうなんですけど、貯金ができない理由って「お金を使ってしまうから」に尽きるんですよね。あればある分だけ使ってしまう、だから貯まらない。無くなったら、無くなったなりに暮らすだけみたいな。

継続的に貯金をしていこうと思った時に、行き着く結論ってやっぱり「毎月の収入から〇〇円貯金」になると思うんですけど、それって1ヶ月、お金に余裕を持った状態で過ごしきることになるんですよね。「今月は〇〇円余裕あるけど、使わない」を続けなきゃいけないんです。大変じゃないですか。僕らが月末にお金が無い時は全然お金を使わずに過ごせていたりもするんですけど、それって「無いものは使えない」からなだけで、余裕があるけど節約しているわけじゃない。そこにあるのにあえて使わない。それも続けていけばいくほどお金の余裕は増していく。そういった生活を続けていくのは忍耐力を試されるなと思うんですよね。

最後「収入から貯金するお金を天引きする

この2段階を経て、今回の本題に入ります。月の収入から一定の金額を、貯金用の口座に入れるものとして差し引き、残った金額の範囲内で生活する。差し引いたお金は自分で下ろさない限り減っていくことはないし、限られた金額の範囲内で生活することができれば、基本的には貯金を切り崩す必要はありません。かくして、貯金は貯まり始めます。

僕は貯金用に使える銀行口座をたまたま余分に持っていて、お金を貯金用に天引きしてしまえば、残った金額の範囲内での生活は何とかなってます。3つのステップを1つに記事にまとめてしまったのは最初の2つがわりとすんなりできてしまったからです。ちなみに天引きする金額を1万円に設定しているのは無理の無い生活の範囲でやっていくためです。これが2万円になったら多分無理ですね(--;)

収入が振り込まれる口座と貯金口座をイッショクタにしていたため、何かの拍子に使ってしまう」これが僕のお金を貯められない大きな理由のひとつだったようです。

ただ何より難しいと感じたのは2番目の項目ですね。1ヶ月をお金に余裕を持った形で過ごしていこうとするなら、当然、最低限の計画性みたいなのは持たなきゃいけないわけでして。前にも記事で書きましたが、頭を使って買い物をする中で僕の生活は前よりシビアになりました。一方で、そういう計画性というのは基本的にいつもお金が無い時に発揮してきたものだったので、それを「目標を持って貯金する」というポジティブな原動力の元で発揮していく、というのが何だか新鮮な感じがしました。前の記事で書いた「『積極的にお金を使わない』という選択肢が生まれた」というのはこれですね。

「生活を通して貯金していく」という試みは確実に僕の中に変化を生んでいるようです。