生き急ぐように本を読んでいる
どうも、今日は久しぶりに本を読みました。台所に座り込んで。
今夜はから揚げを揚げたのですが、あれは仕込みに時間がかかるので、待ってる間に何をしようかと思った時、読みかけの文庫本が頭に浮かんだんです。その場でコーヒーを淹れて壁にもたれながら読んでいたのですが、結局座り込んでしまいました。「最近、本が読めない」と嘆き散らしていたので、こういう時間の使い方ができるなら、作るのに時間のかかる料理も良いなと思いました。
久しぶりに本を開いて、活字の海に浸れると思っていたのですが、文字を追う僕の目は通勤電車から降りて会社へ急ぐサラリーマンのようにセカセカしてます。ただ内容を把握していくだけ。以前のように腰を据えて、じっくり話を読み解いていくようには読めません。過ぎ行く時間の中で、僕は本の読み方まで変わってしまったようです。
その時気付いたんですけど、読みながら本を読む時間とこのあと他のことに使える時間とを秤に掛けてる僕がいたんですよね。「今僕はこうやって本を読んでいるけど、この本を読み終えた後に残る時間ってどれくらいなんだろう」って。もうウンザリしますよね。でも、僕が本を読まなくなった理由ってこういうことだったんだろうなぁって思いました。だんだんと生きていく中で時間に有限を感じるようになってきた。その限られた時間の中、自分のやりたいことを取捨選択をしていく途中で「本を読む」という選択肢は外されてしまった。
一晩中本を読みふけったあの頃は「時間は有限だ」ということを頭で理解していただけだったんでしょうね。だから時間を忘れて活字の世界にうつつを抜かしていられた。今は、そうじゃなくなってしまったようです。
悲しいですね。読書にのめり込めないのも、台所くらいでしか本が読めないのも。
少し、時間の使い方を見直したいなと思います。
それはそれとして、冷蔵庫の上に置かれた文庫本って何だか絵になりますね。知性を育むことが生活単位で行われている感じがして良いと思います。今度はコインランドリーとかで読みたいなって思います。